ヨハンの崇拝者であり、傀儡となったロベルトは数々の人間を手に掛けていく追跡者。
その不意に現れる立ち回りや、盲信のままに淡々と喋る様が不気味であり、ヨハンに次いで怪物としての神性を感じさせるキャラクターだ。
漫画版での内海は作者ゆうきまさみの悪役造型への拘りが強く出たキャラクターだ。
アニメ版では悪人としての描写もさほど無く海外へと逃げ延びる内海だが、漫画版では他者の死をも厭わない冷酷な本質が描写される。
これはアニメには無かった悪役への"報い"のラストへと繋がる大事なシークエンスだ。
初期の猫目な絵柄の頃のロキ君も子憎たらしさが出ててなかなか可愛いですが、やはり馴染みがあるのは後半期や続編の『RAGNAROK』の頃の洗練された絵柄ですかね。
特に重要なのは少年主人公よりも、メインヒロインの方が背が高いというのが可愛さが引き立つショタ漫画の大事なポイントなのです。
だがまあ、単純問題いくら自己愛があっても、"自分がもう1人いる"と想像したらその関係性が上手くいくとはとても思えない。
こういった他者との半身愛テーマは、作劇的にも衝突と対立があるからこそ面白くなる。
『チェンソーマン』はソコを巧く突いていた漫画だ。
「太古の昔、人間は男女で一体であった。その失くした半身を求める心が恋である。」というのはギリシャ神話のアンドロギュノスの説明から始まる一説だが、物語におけるヒロイン論を展開するなら普遍的に当てはまる価値観ではなかろうか。
男女の夫婦を結合させた、あしゅら男爵とかもう究極生物だろう
#私の人生を狂わせたマンガキャラ
ひばりくんと、みゆきの80年代ヒロインが双璧。