漫画版『風の谷のナウシカ』に登場したナムリスは弟に対する劣等感が故に権力を志向したが、その本質は歪な内面性にある。
事が終わると燃え尽きて虚無的な思考となり、自分の命すら蔑ろにしたままゴミの様に空へと消える。
屈折感情を交えたそのシニズム観は、宮崎駿が最も力を入れた悪役造型だろう
そんな中で1つの変化球であったのが『ドラゴンボール』の中での決着の付け方だ。
悟空と最も因縁深い宿敵フリーザとの闘いでは、高揚感溢れる勝利とは言い難い、虚しさと苦味を伴う結末として悪役の最期が演出されていた。
男装の麗人で案の定、セーラーウラヌスこと天王はるかが例に挙がってるけど、漫画版とアニメ版だと解釈が違っていて、前者は性自認が男な節があり、後者は男装と女装をその日によって使い分けている(性別自体が変わる雌雄同体な設定)
明らかに後者の方が闇が深いと思う。
シン・エヴァンゲリオンを観て庵野監督の人となりに興味が湧いたので、安野モヨコの漫画『監督不行届』を読んでみた
自身の夫、庵野秀明をモデルとしたカントクくんとのオタクライフを、実話と創作入り交えて楽しく展開させている漫画だ
その話の面白さの肝はやっぱり、カントクくんの奇抜ぶりにある。
1972年から始まった萩尾望都の少女漫画『ポーの一族』では、吸血鬼は「バンパネラ」という総称で呼ばれる。
悠久の時を生きる永遠の美少年エドガーと、その連れ合いとなったアラン。
2人の耽美なロマンス模様は、それまで怪物として畏怖される吸血鬼の在り方に、新たな解釈と方向性を示したのだ。
最近、少年サンデー誌の『よふかしのうた』に"男の娘吸血鬼"という画期的なキャラが登場したのだが、裸体シーンでの下半身部分の描き方が少々残念だった。
コトヤマ先生は女体デッサンは抜群に上手いが、このハツカというキャラの場合ヒップラインと肉付きが女性のソレ=安産型デッサンになっている。
柴田亜美女史による『南国少年パプワくん』内での描写も少年愛への拘りが見てとれる。
主人公の一人シンタローは、離れ離れになった美少年な弟コタローを想う度に鼻血を垂れ流す良き兄として描かれる。
続編『PAPUWA』でコタローは、ワガママでSっ気のある魔少年へとグレードアップし魅力を高めた。
ジョージ秋山の代表作『ザ・ムーン』の完全版を揃えて購入。
ちょっと前までは文庫本も入手困難で途中しか読めてなかったが、全3巻合わせて1万5千円近くで手に入ったのだ(涙)
鬼頭莫宏の『ぼくらの』は本作にインスパイアされており、それ以前にもあった鬱系ロボット物ジャンルの先駆けでもある。
みんな大好き、からくりサーカスのラスボス、フェイスレス。
白金、ディーン、貞義、フェイスレスと各々違った特性を持ちながら、最も顔芸豊かで嫉妬にまみれた貞義のバージョンが特に好きだったり。
でも投げやりなメンタルで退廃的だった、最期のフェイスレス=白金の時も捨て難い。
シロさんの脳内イメージに出てくる、きのう何食べた版ジルベール
あの界隈では、『風と木の詩』は知ってて当然の教養なのだ。
王子様と云えば"金髪碧眼"というイメージがいつ頃から定着したのかがよく分からない。
セーラームーンの場合だと、王子様ポジションのまもちゃんは黒髪短髪(眼は青い)とちょっと珍しいパターン。
逆に判りやすい王子様デザインのジェダイトを、一発目の敵幹部として出したのは意図的な気がする。