この回が何より良いのは「泣かせにいっていない」とろこだ。
悪く言うわけではないが、「泣かせにいく」パターンとしては
「主人公が誰かのために、普段とは比べ物にならない努力や行動を起こす、目一杯感情を発露する」という「劇的な要素」を含ませる手がある。
下層の積雲を上から視れる画は珍しいので釘付けで見ていた。
機械で行う人間の催しのために自然現象を「要らない!」と言ってる様は、なんというかアレだった。コロナ禍に五輪を強行する人間の縮図のような(別に反対ではない)
催し見たいのはわかるけどさぁ。驚くべき自然の景観のほうが圧倒的だろうに
私がこの作品を好きなのはやっぱり宮崎駿みがあるからだと思う。
宮崎さんは勧善懲悪的対立構造を基本取らなくて、当初完全に敵だったキャラクターが後々仲間になったりする。モンスリーとかクロトワとか。
今作のディクソンにも同じものを感じるんですよね。
少年漫画で男が空を飛ぶとこうなる。こういう品のない飛び方は「違う」のだ。
空を飛ぶならふわっ飛んで「わぁ…」と目を輝かせて飛んでほしい。
ド カ ン と飛んで「なめやがって!!!!ゆるさんぞおーーーーーーーっ!!!!」では断じて、ない。
※ドラゴンボールも好きです
のび太の視点から始まり、退室するのび太にカメラが着いて行かず、ドラえもんの側に残ることで、のび太を滑稽に見せている視点の移行。
ドラえもんが客観化させるばかりではない。こういった「他人事」のケースもある。
グンニャリジャイアンはオチも前述の「追い回される者達を無関係の人間が眺めるオチ」
この話も「熱弁をふるうのび太から完全に他人事な態度のドラえもんへの移行」の導入。この冷徹な視点の切り替えこそドラえもんの笑いの極意。