別に何のことはない会話だけど、こういう会話は作り手が計算して仕込まないと絶対に生まれない。実はほとんどの作品ではこういう特殊なやり取りはない(コメディとかなら当たり前にあるんだけど)
上手い作家はただの会話でもこうした「見せ方」を工夫している。
「自分が何に怒りを感じるか」というのはとても大事なことで。私は普段は怒ったりすることがほぼないのでこういう機会は貴重。不快な気分にもなったし長期間悩んだりもしたけど、それを自己発見に繋げなくてはと思う。
更に、「合わなかった作品」だからといって作品との関係を疎かにするのは私としては愚行。合わなかった作品には無難に面白かった作品以上に熱い感想を誘発させる側面すらある。
合おうが合わなかろうが、その理由を明文化するのが作品・作家に対する敬意であると私は考えている。
この作品も「魔女」という括りでリサーチすると引っかからないタイプだと思うが作品自体は非常に「奥さまは魔女」テイスト
直接的なオマージュも。何かと秘密を覗こうとして「あーたあーた!」と旦那に報告しては信じて貰えない隣の家の東村山さんは、奥魔女の「グラディスさん」の明らかなオマージュ
「よばれてとびでてアクビちゃん」も、ハクション大魔王を東映魔女っ子ものの文脈で作り直したような作品。当時の掲示板にもそういう反応がいくつかあった模様。
アクビは「壺の魔人」だけど、魔法を使う女ということで「魔女」と言うことも出来る。
漫画版では「魔人」でなく「魔法使い」と言われてる
まあそんなネット社会の時代だからこそ、アドラーの思想が価値を帯びるという側面もある。しかしやっぱり全対応出来るような万能思想ではなく、古びた面もあると感じるものだった。
やはり天津飯アプローチが有効だろう。参考出来るところはして、出来ないところは分けて考えよう
セラムンS第26話まで観賞。
ぼんやりとしたイメージだったけど、やはりほたるの「病弱だが邪悪な強い力を持つ薄幸美少女」というイメージはローゼンメイデンのめぐと被る。
自らの命の弱さを他者のエネルギーによって補填しようとする、という構図も被る。
朝発見したキャラデザ兄成×メインメーター松尾祐輔とかいう神企画の原作立ち読みしたら大学生になったあおいちゃんが出て来てんだけど…
この病気が厄介なのは「特効薬がないこと」「対処法がないこと」
不治の病として世界疾病ナンタラに登録されていいと思う。