幕末の若き盛岡藩家老・楢山佐渡と東次郎。
意見が合わず対立、交互に家老職を務める。
昨日は佐渡さんの誕生月でイラスト&プチ漫画載せたけど東さんあんまりなくて。過去に描いた漫画、竹原由太郎くんメインですが東さんが出ているので描き直した!
東さんは桜田門外ノ変を目にしたようです【4-1】 https://t.co/NQnFT8WLGP
幕末の盛岡藩家老・楢山佐渡
桂小五郎と酒を交わした事があるそうな。
戊辰戦争前、佐渡さんは京都へ向かいそこで幕府につくことを決定したと言われている。桂さんとはこの頃会ったのかしら。
そんな佐渡さんは5月生まれ。
14代盛岡藩主とは従兄弟の関係。
6歳で殿のお相手として登城。
23歳で家老に https://t.co/qht4As3MVl
戊辰戦争の責任を問われ那珂梧楼は幽囚。
その後放免。東京で生活を送る。
明治政府への不満が燻る明治初期。
元長州藩士・奥平謙輔が那珂梧楼を訪ねて来て大騒動。なんの話をしたのか気になるわ。
幕末期、松陰先生はじめ多くの志士と交流。顔の広さが裏目にでちゃった梧楼。 https://t.co/YsxNQyQzyP
戊辰戦争の責任を問われた人物。
盛岡藩からは3人いて、そのうちの1人は江幡五郎(のち那珂梧楼)
彼の養子が明治9年、かつて敵対していた長州は萩で教諭しているんですねー。
なんで?!
戊辰戦争から10年も経ってないのにどんな経緯で?
と思ったら諭吉さんでした。
人との縁は不思議なもんですね https://t.co/0S6J0P7OsG
今日は石川啄木の命日だそうです。
盛岡文学勉強中ですがなかなか興味深いです!
原敬の甥・抱琴、野村胡堂、金田一京助、石川啄木…
盛岡タイムスさん(悲しみの廃刊)に連載していた「ハラさん!」にも石川啄木登場。
神童だと自覚ありなので性格がアレですが抱琴さんには礼儀正しかったようです
明治の初め頃なんて色々不安定で、しかも戊辰戦争はつい最近の話で。
賊軍と言われた盛岡藩。
その戦争責任を問われた3人のうち1人の息子(養子)。
さぞかし辛い思いをしていたろうと思うのですが、明治7年から大阪で教師生活をスタートし亡くなるまで10校で先生をしていたそうだ。 https://t.co/WrEWzZno5T
「この時知事大笑い」と書かれたお手紙が残っています。
残してくれた原敬ありがとう。
元長州藩士から戊辰ネタで爆笑をとるって、いい度胸とセンス&ユーモアがあったんだなと思う。
過去作は文字が多くて読みにくくてごめんや。
慶應5年3月28日、原敬の兄・恭(ゆたか)さんが生まれました!
私が原敬に興味を持ったきっかけは恭さん。
原敬記念館さんでの企画展で恭さんの個性に魅了され、正直原敬は原家の次男ポジションからスタート。
2枚目漫画ネタは描き直したけどもっと時間かければ良かった。この話の続きは以下
赦免されたとはいえ就職先って簡単に見つからないよね。
持つべきものは友。いえ桂小五郎(木戸孝允)です!
通世の前髪短すぎた・・・(2-2)
盛岡藩の江幡五郎(那珂梧楼)と長州藩の桂小五郎は幕末に出会って友人関係に。
戊辰戦争時は藩同士が敵対。
江幡五郎は戊辰戦争の責任を問われ東京で幽囚生活を送ることに・・・でもね、心優しい桂さん(木戸孝允)は赦免された江幡さんに会いに来るんですよ!その時の話漫画↓
(2-1) https://t.co/bhDkjJOf6R
藤村操って知っていますか?
私は1コマ目の知識のみ。
しかも大昔に聞いただけ。
昨日の投稿、藤原が間違っている?と気付いたのもここから。
操さんが藤村家に養子に入ったのかと思ったけどそんな情報見つけられなくて(Wikipediaだけど)
なので多分荘次郎くんは「藤村」と思われる。 https://t.co/bhDkjJOf6R