盛岡藩3代目藩主・南部重直公は江戸生まれ江戸育ち。
元々の性格かチャキチャキの江戸っ子のせいか、盛岡藩の人達とは波長が合わなかったようで…それ故なのだろうか? 結構な伝説を持つ藩主。
改革肌だったのだと思うよ。
ペットはウズラの四ツ屋ちゃん。
過去作、文字が読みにくくてごめん。 https://t.co/YlhDrz9BEO
選挙が近いので原敬ネタを。
政治家たるもの潔白であっても、疑われる行動は取らない。
まさに
『瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず』
悪いことをして疑われないように工作じゃないんですよ。
やましい事なんてないのに、疑われる要素を排除してるんですよ。
盛岡タイムスさんで連載しておりました「ハラさん!」より。
普通選挙を実行しなかった原敬。
そこには考えがあったのですが国民の理解はなかなか得られず…
感情的な「世論」に流されず、責任感を伴う「輿論」を主張する国民と共に変革を行う事が原さんの考えでした。
大正7年(1918)9月29日第19代内閣総理大臣となる原敬。
その舞台裏にはドラマがありました。
絶対的な存在である元老・山県有朋(長州藩)
そこでこっそり手を組む元老・西園寺公望(京都)と原敬。
こうして平民宰相は生まれた。
5代目盛岡藩主・南部行信公。
生類憐れみの令でお馴染み、徳川綱吉公も5代目。
ということで、バチ被りのお二人。
生類憐れみの令は有名だけど藩ごとで温度差があった模様。弘前藩は割と重めの処罰にしていますが、盛岡藩はそこまで…
そのあたりも面白いなーと思ってみたり。 https://t.co/KCGGeOnc1w
原敬の名前マンガ。
原敬には「さとし」時期があったようで。
たかしですよー
昔は幼名があり原兄弟一斉に改名。
実兄の恭(ゆたか)と共に難読ですが理由がありましてね。
この仲良し兄弟エピソードで心が潤います。 https://t.co/7cmKyqKlCJ
岩手県立図書館さんでは、藩校サミット開催にあたり児童コーナーに「おとのさま」関連の本をまとめていらっしゃいます👏
(写真掲載許可済)
お殿様を身近に感じ、そこから歴史に興味持ってくれると嬉しいわ。
盛岡藩での参勤交代でのエピソードも面白いですよ! https://t.co/8ZjjqAiPVL
読書中の徳川将軍
『各藩にはいろんな特産物があるんだな。ふんふ…ん?!
盛岡藩の「クキ」ってなんだ ⁉️「くさい」って生き物がいるのか⁉️』
ラジオもTVもSNSもない時代。
日本全国の特産物って知らないから興味が尽きない。
現代でも他県に行くと風習や食事の違いにワクワクするもの。 https://t.co/MPulpbuO15
盛岡藩に生息するUMA・くさい
その盛岡藩を治めていた8代目盛岡藩主・南部利視(としみ)公のお話を。
刀は武士の魂。
同じくらい髪も武士の魂。
丁髷一択の時代(一部除く)
髪の毛が薄くなる、すなわち曲げが結えなくなる。
それすなわち武士引退。
殿様の髪が薄くなったら…こうです! https://t.co/Kq9yWIqFwC
へこたれない原敬。
自らの人生を「浮沈」という通り、浮き沈みが激しい。
私だったら放校になったら絶望して毎日落ち込んで終わるかも。
原さんって、スムーズに総理大臣になったわけじゃなく「その環境でできる最大のことを真面目に全力でやる」人。
だからすごいんだよね。
でもって、その原さんのガッツは家系だね。
この茂平さんの件をいろんな意味で忘れないよう原家で語り継いだから、その精神が養われたと思われる。
大正10年11月4日
東京駅にて原敬が亡くなりました。
無念の死。
原敬の妻、浅は気丈に振る舞った・・・という話を漫画にしました。
きっと淡々とこなしているように見えたかもしれない。
でも、その心は悲しみでいっぱいだったでしょう。