見づらくてすみませんが、手書き文字を絵とともに版木に彫る草双紙スタイルは明治以後もしばらく残りつつ、急速に活版本に変わってゆくわけですが、上から下への変化はウェブ小説の横書きに僕らが感じる以上の違和感があったのか、どうでしょうね。
   #ゴジラ対ヘドラ は中1の臨海学校のときに誰かが持って来てた別冊少年チャンピオンのコミカライズ(by一峰大二先生)で読んだ。そして、それで十分だった。3枚目は唐沢なをき先生のツイートより。確かにこのコマは印象的だった。元の映画? もうどうでもいいです。 
   ①けったいな人びと
②大阪物ドラマの最高峰。何と愛すべき人たち、何と耳に心地よく響く言葉の数々。僕の『新・二都物語』も『大鞠家殺人事件』もこの作品へのオマージュといっても過言ではありません。
③ #今もう一度見たいNHKドラマ 
   宮武外骨「滑稽新聞」明治34年8月5日号より。鉄アレーと鉄拳アレー痛いヨ  https://t.co/VkK4ZSz93S
   藤子不二雄A『まんが道』では、中1?のときに最初の肉筆回覧誌「マンガ少年」を作り、そのあと現物も残る「少太陽」を作ったことになっている。この二つは同一、ないし前者はフィクションではないのか。愛読者・研究者の諸氏はどう見ておられるのかご教示乞う。 
   清瀬赤目さん@_akameの先のコミティアでの発表作『怪異事件帖ひゅうどろ』読。本文72ページの大正怪奇文芸鬼譚。アマチュア時代から一枚絵の中に「時代」と「物語」を封じこめてきた名手が自主制作した力作です。その可愛らしい絵柄と画技はすでに知られているが、その本来の指向がはっきりと示された 
   はい、一つの解答としては、われわれが認識している江戸時代は初期も末期も同じセットと衣装で描かれる「時代劇時代」だということです。実際には江戸末期の日本はかなり変貌しており、それと明治時代の落差は極端なものではなかったのではないかと。画像はいつものみなもと太郎先生。 https://t.co/x9ZoPrgLCr 
   井上とさず先生のペンタッチ比較検討を見てて思い出した手塚治虫『漫画教室』。この往年の漫画家たちの画風模写のマニアックさ! 手塚先生はまず漫画オタクだったのだとわかる。ただし3枚目左端最下段の3コマは架空の漫画家です。 
   #憧れの秘密基地選手権 
海野十三の「秘密の書斎」(新青年1938年12月号)この手のものとしては最も早いのでは? 何とそれを青井邦夫さんがイラスト化してくださっていた! なお、この号で「夢の設計図」コンクールが行われていた模様。 
   昭和30年代が舞台の少年少女冒険活劇漫画の可能性
・東宝特撮でおなじみの都市風景が出そろう。銀座の森永地球儀ネオンとか
・アーウィン・アレン版「失われた世界」だと1960年時点でアマゾンに恐竜の住む秘境がまだある
・平和日本の転覆を企む旧軍人組織の設定が可能
・インディ・ジョーンズが健在 
   みなもと太郎先生は「ドカンの積まれた空き地」もまた、時代劇の中にしかない「お江戸」のような「マンガだけの『風景』」になったのかもしれないと指摘している。