「シン・ゴジラ」の「発声上映」が特別に行なわれると聞いて、もとはサイレント映画なのかとびっくりした。「発声」って、画像の時代ぐらい古い映画用語だぞ。
手塚治虫先生の絵は記号的・文字的でありながら(いや、だからこそ?)、美少女はもちろんのこと、ごくふつうの女の子をサラリと描いてしまう。ちゃんと顔と個性のあるモブキャラなのだ。
なお、川崎のぼる先生『死神博士』の影三四郎探偵の、ふだんは金田一耕助で時に応じて明智小五郎になるという汎用性の高さは何度でも訴えていきたい。シリーズ化すればよかったのに。
獅子神タロー氏との対話で思いついたのだけど、みんな「昭和」設定で小説や漫画を書こう! もう時代劇みたいなもので何でもあり。たとえば:
①東西対立を超えた正義の国際組織がある
②ギャングは帽子にスーツで銃撃ちまくり
③盛り場あれば暴力団あり
④株主総会は荒れる
何とも不思議なエロ世界に目をみはらされた粟岳高弘氏@AwatakeTakahiro『取水塔』読。2001-2016年に同人誌として発表されたというのにまず驚かされる。奇妙な群体生物と遺構と共存する町の少年少女の冒険(といっていいのか)。設定も用語もさっぱりのみこめないが、図の如くのみこまれれば問題なし。
故・野間美由紀さん『パズルゲーム☆はいすくーる』NOTE4より。高校生探偵コンビの押上大地と三輪香月の関係は一話から示唆されていたが、結ばれずに逝った少女のメッセージを解読する挿話でもあり、この描写は必然だった。にしても、われわれは1983年の「花とゆめ」より遅れた世界にいるらしいですな
#上級国民の食べ物
ペリーにはハンバーガーでも出しとけばよかったのだ。
われわれ日本人のような上級国民(ちょっと意味違うけど)とアメリカ人とではいっしょにはならん。
みなもと太郎先生『風雲児たち幕末編5』より。
若き日の手塚治虫やさいとう・たかをが「ペンと紙があれば映画が作れる!」と小躍りしたときの「映画」とは何を表わすものだったか気になっている。僕なども脳内の映画を写し取るつもりで小説を書いているが、どうもそれは今日的な意味の映画ではない。少なくとも庵野秀明、福田雄一監督作品ではない