ショパンの死後にリストらの尽力もあり、ショパンの音楽はヨーロッパ中、そして世界中に広まります。
オペラとピアノ音楽の優劣は無くなり、音楽史上ピアノ音楽を開拓したショパンの真価が認められます。
そしてポーランドを代表する空港の名前が「ワルシャワ・ショパン空港」と名付けられました。
-ショパンの軌跡-
ワルシャワ蜂起で友達皆が祖国でロシアと戦うのに体が弱くて兵士になれなかったショパン。
「銃で戦うより音楽で戦って成功する方が祖国のためになる」とティトゥスに説得され、独りウィーンに残り音楽を頑張ると決意します。
しかしウィーンではショパンの音楽は見向きされません。
ユリアンとの書簡を見るとショパンは服は毎シーズン買い換えるけど、手紙など人との思い出はずっと大事に保存するタイプ。人好きのするショパンらしい特徴ですね。リスト曰くどんなにつまらない贈り物でも大事にしていたそうで、リストにはつまらなく見えたものって何だったんだろう。
休暇だった今週、復習と課題図書の読書漬けでした。
課題図書(https://t.co/M4bpUl6fA3)にキュスティーヌがよく出てきて興味深い。僕ショパではキュスティーヌはショパンに夢中な18世紀生まれの3おじの1人としてその一面を描いています。ショパンに夢中なおじは彼ら有名人以外にも大勢いたでしょうね。
ワーグナーの自信と自己肯定感が凄い。
そして今や何万人を超えるファンを生み出し本人の言葉以上に有言実行できてるのがまた凄い。
頭の中はアイデアで一杯だったんだろうな。
自分がやりたい事は人の役に立つ!という信念を持てるほど何かに情熱を持って極める事はどんな職業や生き方にも大事。
「音楽家の家」(https://t.co/zdZoAnbcfh)より、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院が音楽家の卵が集まる大学として彼の後世で重要な役割を果たしていたエピソードです。
ショパン、リスト、メンデルスゾーン、ベルリオーズの記録ではケルビーニは無理解で非協力的な老害扱いをされてますが、私はショパンら若手の視点をそのまま描いただけでケルビーニを下げる意図はありません。
ケルビーニの名著対位法(https://t.co/3bH8AybORD)は若手音楽家から長年愛読されています。
今日の朝ドラブギウギと同じ展開が19世紀パリにもありました。新人歌手が持ち上げられてスズ子と羽鳥先生のコンビが古いと貶められる構図、タールベルクが持ち上げられてショパンとリストがセットでオワコン扱いされたのと似てますね。本人の知らぬ所で雑誌に煽られた出来事でした。
#ブギウギ