私は僕のショパンでユリアンはショパンに対してきっと複雑な葛藤があった、そしてショパンはそれに気付いてなかっただろう事を漫画にしました。ショパン全書簡に私が漫画に描いた内容とほぼ同じユリアンの日本語版新情報があり、的中した驚きとやっぱりそうだったんだという切ない気持ちです。
今日のクラシックTVのヴィルトゥオーゾ特集でタールベルクが紹介されて嬉しいです。
リストVSタールベルクの真相は僕のショパンでも描きました。対決が仕組まれたものだと知った後二人は仲良くショパンも巻き込んでへクサメロンを共作します。
ショパン、リスト、メンデルスゾーン、ベルリオーズの記録ではケルビーニは無理解で非協力的な老害扱いをされてますが、私はショパンら若手の視点をそのまま描いただけでケルビーニを下げる意図はありません。
ケルビーニの名著対位法(https://t.co/3bH8AybORD)は若手音楽家から長年愛読されています。
風采を批判され自分磨きを決意した若きショパン。パリに着く頃にはすっかりファッションリーダーに!ショパンのおしゃれ奮闘記を映像で見たいです。 https://t.co/AGX2MFm6dc
今日の朝ドラブギウギと同じ展開が19世紀パリにもありました。新人歌手が持ち上げられてスズ子と羽鳥先生のコンビが古いと貶められる構図、タールベルクが持ち上げられてショパンとリストがセットでオワコン扱いされたのと似てますね。本人の知らぬ所で雑誌に煽られた出来事でした。
#ブギウギ
リストとタールベルクどちらが凄いか気にしていたのは実は雑誌に煽られた大衆だけでした。タールベルクはリストがいないパリで比較されずに平和に演奏活動したかったのに「リストがいないパリに来て出し抜いた」と雑誌に書かれて事情を知らないリストは反論して帰ってくるしただただ困惑してました。
休暇だった今週、復習と課題図書の読書漬けでした。
課題図書(https://t.co/M4bpUl6fA3)にキュスティーヌがよく出てきて興味深い。僕ショパではキュスティーヌはショパンに夢中な18世紀生まれの3おじの1人としてその一面を描いています。ショパンに夢中なおじは彼ら有名人以外にも大勢いたでしょうね。
ショパンの死後にリストらの尽力もあり、ショパンの音楽はヨーロッパ中、そして世界中に広まります。
オペラとピアノ音楽の優劣は無くなり、音楽史上ピアノ音楽を開拓したショパンの真価が認められます。
そしてポーランドを代表する空港の名前が「ワルシャワ・ショパン空港」と名付けられました。
ユリアンとの書簡を見るとショパンは服は毎シーズン買い換えるけど、手紙など人との思い出はずっと大事に保存するタイプ。人好きのするショパンらしい特徴ですね。リスト曰くどんなにつまらない贈り物でも大事にしていたそうで、リストにはつまらなく見えたものって何だったんだろう。
ショパンの迷言「僕は濡れた毛布だ」より、乙女ゲーム風「濡れた毛布のショパン」
https://t.co/BY78Y1Yi8K
「音楽家の家」(https://t.co/zdZoAnbcfh)より、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院が音楽家の卵が集まる大学として彼の後世で重要な役割を果たしていたエピソードです。