「漫才協会」の前身「漫才協団」団員一覧(平成12年)。現在は浅草の東洋館を定席としているが、昭和30年に「漫才研究会」として発足した当時はロキシー劇場(戦前の金龍館。跡地は現在のROX3G)にわずかな日数で間借りする状況だった。@retoro_mode
モナカカレーはヒットし、約8年間に渡って販売。その間、ルウを固形化する技術と油脂の品質向上により、固形と粉末タイプに集約された。世界初のレトルトパウチカレーが大塚食品から登場するのもその頃。なお、モナカにカレールウ(粉末)を入れた商品は戦前、昭和6年頃から存在していた。@retoro_mode https://t.co/vO0AZM0pub
【昭和のテレビ】サントリー笑待席 昭和43年
『笑点』を立ち上げた立川談志は、並行して類似番組に次々と関与する。その一つがこの番組で、『笑点』同様に司会を務め、収録場所も後楽園ホール。内容は漫才と対談コーナーで構成したが、約半年で打ち切られた。@retoro_mode
【昭和の野球】オールスターゲームのあけぼの 昭和12年
今年も球宴の季節となったが、その始まりは昭和12年の“オール・スター東西対抗試合”。三試合制の初日、東軍先発の沢村栄治は三塁を踏ませない快投で完封勝利。第二・三試合は西軍が勝って優勝した。本品は初日の入場券。@retoro_mode #蒐集品
【昭和のテレビ】フジテレビ テロップ 『おはようチンパン』 昭和36年
週7日の帯で放送されたこの番組は、多摩動物公園の人気者チンパンジー4匹が登場(演技も多少させたようだ)、“庶民的な生活の中で巻き起こる笑いとペーソスを描く”ものだった。声は熊倉一雄らが当てた。@retoro_mode
旧日本テレビ社屋の玄関。巨人戦の日程と番組名から昭和38年6月24日~30日と判明🧐 #時代考証 @retoro_mode
【昭和の広告】メヌマポマード 昭和11年
実業家・井田友平が国産の植物性調髪油として大正6年に発売。商品名は出身地の妻沼町(埼玉)に由来する。広告モデルは歌手の中野忠晴で、率いたジャズコーラスグループが人気を博し、この年には『大阪タイガースの歌』を吹き込んだ。@retoro_mode
紀元2600年=昭和15年3月7~10日、職業野球・東京セネタース結成5周年記念大会。最終日に初の球団歌『セネタースの歌』が披露されたが、半年後には軍部からの圧力により野球用語や球団名が日本語化。東京セネタースも公募により『東京翼軍』に改名した。@retoro_mode
三河島駅ほど近くの #珈琲茶館エンゼル 。下町の昼下がり、流れる時間は悠久に感じる。焙煎の香りと秒刻の音が身を包み、心地よさにいつしか微睡む。#純喫茶コレクション