儂が芸術とか創作の天辺に置いているのがつげ義春だったりして。ご本人は漫画は芸術じゃないと仰っておられるけど。本心なのか照れ臭いが故の韜晦なのか。
あの世捨て人のような生き方は稀代のアウトサイダーではあるよな。
日本の漫画のルーツには街頭紙芝居などの民俗芸能もあって、そこから辿れば明治の錦絵新聞やポンチ絵本、更には江戸の草双紙や赤本に接続するのは容易なんだけど、それを口にすると一笑に付されるのよな。
それもディズニー〜手塚治虫の呪縛か。
この本が出版されたのは1969
年(邦訳は1973年)、まだミロ・マナラもメビウスも登場しておらず、終章で登場するのはアルベール・ユデルゾあたりからグイド・クレパックスである。
当時のフランスで得られる知識に基づいて書かれており、残念ながら日本の漫画についての言及はない。
絵を描く合間に玉子丼だの納豆飯だの三分で作れるごはんを掻き込んで限界が来たら横になって、休日のキラキラ感が皆無なのがいけない。
オシャレランチとかカフェ巡りとかしなきゃ。
でもきっと伊勢佐木の三番館とか黄金町の珈琲山でナポリタンとかピザトーストを食べて古本屋巡りだろうなぁ。
諸星大二郎『鰯の埋葬』
タイトルは諺の「イワシの頭も信心」から来ているのかな?と思っていたが、後にゴヤの絵画『鰯の埋葬』だと分かった。
ただまぁ名画に諺を捩ったのではないかって気はまだしているが。
ゴヤの絵は鰯が腐って異臭を放つカーニバルの最終日を描いたものです。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
『晦夜』山上たつひこ
明らかに『ねじ式』に影響されたと思われる1971年に発表された不条理作品。
蒸し暑い夜、夏休みのプリントを山田くんに渡さなければならない事を思いだしたぼくは、山田くんの家に向かって旅に出る…。