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【75年前の今日】5月24日の日記「『高須さん、あなたたちが夜間の大空襲に会ったのは、あの三月十日が最後ですね。四月中旬のやつのときには田舎にいってたんだから』『うん、そうだ』『じゃ、もうそろそろ凄いやつをくらっても文句はいえんわけだ』『冗談じゃない』」このあと、大きな空襲が…。
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『#風太郎不戦日記 』にも協力を頂いている兵庫県養父市の山田風太郎記念館。現在、緊急事態宣言に伴い休館中ですが、宣言が明けて夏のいい季節になったら、風太郎先生没後20年の年ですので、皆さんに足を運んで頂きたいです。そして『風太郎不戦日記』は連載佳境、あと1回です。ご期待下さい!
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【75年前の今日】5月30日の日記「曇天の下を(高須さんの)奥さん、勇太郎さんとまた湯野浜にゆく。今はなかなか一般客を泊めないのを、奥さんが頼んで『いさごや』というのに泊る。ここにも疎開児童がわいわいと騒いでいる。しかしみんな元気よく、準軍隊式に生活しているらしい」#風太郎不戦日記
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【75年前の6月1日】「浜で学童たちが整列して朝礼をやっている。南の方─宮城を拝し、それからいっせいに何やら合唱した。きいてみると『つぎの世をせおうべき身ぞたくましく 正しくのびよ里にうつりて』という皇后陛下のお歌だそうだ」疎開については、最新30号の不戦日記コラムをぜひご覧下さい。