吾峠作品世界、「情状酌量の余地がある悪」と「(一般的な公序からして)同情の余地がない邪悪」のあいだに強く一線が引かれてる気がして、鬼滅の半天狗とかは後者枠として炭治郎に強烈な敵意をぶつけられたまま終わる… 
   圭ちゃんと沙都子、実のところ2〜3歳くらいしか歳が離れていないので、レナも魅音も油断していられないところはあるのじゃ 
   まー昨今の沙都子は「ちゃまのヒロイン」ってポジションで描かれがちで、祟殺し編のように圭ちゃんと一対一のとき限定な「少女」的な掘り下げをしにくいとこもあるのかなー 
   沙都子が本気出したらレナと魅音では太刀打ちできないというのはわたくしが長年主張してきたところであり云々 
   ここはまじで重要やなと思った、「社会人になったらオタ趣味が無くなった、続けられてる人は情熱が違うんやな… これが大人になることなんやな…」ってもし思ってる人がいたら、まずはストレスを疑ってほしいわね… たぶん、オタ趣味以外の余暇活動もできなくなってると思うよう…