ろせったホテルの開業広告が明治40年12月14日付の『都新聞』に載っていた。「来る十七日より御料理御宿泊共開業」とある。見落としでなければ同じ内容の開業広告以外、年内の都新聞にろせったホテルに関する記事がなく、顛末が分からない。何もなければ明治40年12月17日が開業日ということになろうか。 
   広島市郷土資料館「夏休み おばけの博物館」7月16日(土)~8月21日(日) https://t.co/mJ3pFoRsER 
   雑誌『美術新報』の最初期の号には #浅草珍世界 の広告や記事が出ている。順に明治35年3月30日付、同10月5日付、同10月20日付。内容から察するに美術家たちの関心を引いたのは、X線やいわゆる「魔鏡」などの展示だったようだ。 
   若くしてただならぬ実入りを得ていた列車給仕はその収入が断たれたからといって質素な生活は送れまい。大正7年9月5日付『都新聞』、列車の乗客からくすねた金品で芸者と豪遊中に警察に捕まったこの列車給仕は当時21歳、ボーイになったのは大正元年という、10代から羽振り良くやってきた少年であった。 https://t.co/q6w0mGHNB9
   洋画家の鹿子木孟郎が明治38年、大阪難波で日露戦争の日本海海戦に題材を採ったパノラマ館に関わった記事を見たばかりだったので(記事は『大阪毎日新聞』同年8月12日付)、俄然興味が湧いてきた。  https://t.co/sVNnWdFvWt
   この人は「目黒の筍王」ではない(笑)この阿部さんが語った目黒の筍に関する雑学に功労者扱いで出て来る「初代の山路治郎右衛門」が「位牌には筍王と書いてあ」ったという筍王である。わざと桐箱に納め青物市場に出すことでブランド化を成功させた等、いろいろ気になる。大正12年4月24日付『都新聞』 
   明治45年3月10日付『東洋日の出新聞』(長崎)「王冠口新形瓶アサヒビール」、「従来ノ木栓ヲ廃シ王冠口トナシタレバ」、瓶ビールは王冠の時代へ。 
   試し斬り(様斬)についてはぜひこちら氏家幹人『大江戸死体考』を傍らに置いて。 https://t.co/RZCRa1m5zE