気になる展覧会:神奈川県立近代美術館鎌倉別館「木茂先生の挿絵考 併陳:近代の洋画」2025年4月26日(土曜)-7月21日(月曜・祝)https://t.co/admHdOa4J9
大正5年12月10日付『大阪毎日新聞』朝刊、公衆電話がかつて「自働電話」と呼ばれていたのは有名なところ、ここではその名前が体を表していないことに電話局が困り「公衆電話」とでも改称しようかと言っているとしている。「公衆電話」という改名案がこんな時期からあったのか。
大正5年12月10日付『新愛知』いま全盛の福の神、ビリケン君に代るキユーピー君。キューピー人気がこの年春から名古屋にも到来。信仰というほどではないライトな福神として「新奇を好む芸妓屋の神棚に祭られたり」「中学生抔の机の上に飾られ」たりから日本の生活空間に入り始めているのが大変面白い。
1928年(昭和3)6月7日付『河北新報』朝刊。地元の保勝会が東西両公園とも博覧会閉幕後引き続き噴水を保存するよう求めたらしい。
@ikiningyo その「多賀城の納涼園になぞらへ」松島でも、瑞巌寺正門前(物産陳列場辺)を念頭に菊人形を飾って秋の娯楽にしたいという動きもあったようです。
カフエーにしても、西洋料理店にしても、大正12年の新聞広告を見ると「栗御飯」に「松茸御飯」に「小鳥のトロ焼」と洋風とはいささか相容れぬ趣で、パウリスタがいったいどんな店だったのか、ますます気になってきた。
種々の悲喜劇を呼んだ御真影に劣らず奉安庫も難儀な代物であった。昭和4年5月14日付『河北新報』朝刊。昭和2年に竣工した小学校の奉安庫につき建材が腐木、敷地が校庭より低位置と奉安庫の尊厳を損なう施工だとして建てた村当局と寄附した村民でトラブルになった。改築の約束が履行されず問題が再燃。