家電たるもの、持てる機能は全部盛りにしてみたいというのはいつの時代も同じか(笑)全方位へ風を送り、氷や香水を使えば冷風や香り付きの風を出せ、“ラジウムオゾン”まで発生させる「レコード破り」の扇風機が登場した。大正4年7月26日付『都新聞』(広告は同31日付)
大正8年(1919)4月22日付『都新聞』で“猩々太郎”らしき足跡を見つけた。“猩々太郎”の絵葉書は見ていたが、なぜ“猩々”太郎なのか考えてもみなかった。「皮膚の色は飽迄白けれど頭髪は赤く」だからか。この年に20歳という年齢も辻褄が合う。
今日の #理科室のタイムマシン学校標本展 にも登場していた動物標本社 https://t.co/an7z2kYAaC
大正13年7月30日付『静岡民友新聞』メートル法が社会に根付く前は確かに、富士山の高さをメートルで言えるのは常識ではなかったということ。「富士山の頂上には一年中(12(ヶ月))雪が白く(469)」12,469尺[小数点以下を切り上げ]という記憶法は一般的だったのかしらん。むろん当時は日本一の山でもない。