昭和2年5月3日付『河北新報』朝刊、こちらでも「笠原高級撞球場」が「女ゲーム取」至急数名入用、「蝶々撞球場」が「玉場建築中に付」「ゲーム取り」入用との新聞広告を出している。かなりのビリヤードの人気が窺えよう。
ということは、例えば『第二回水産博覧会出品目録第二冊』明治30年に長崎県の出品者として登場するこの長崎市本籠町の安達八三郎がマジシャンのジャグラー操一なのか!びっくりだわ。#奇術史 https://t.co/wH4tRSenvS
大正12年3月9日付『都新聞』ワップル焼とはいわゆるワッフルのことを言っているのか、その別名が「みかん焼」とはどういうことか、それが気になって未亡人の苦労話が入ってこない。
大正12年7月15日付『都新聞』、高島春雄『動物渡来物語』も明治19年のチャリネの虎の出産以来の珍しい例として紹介する浅草花やしきでの虎の子の誕生が広告に出ていた。
字が潰れて読みにくい箇所の多い明治40年11月5日付『大阪朝日新聞』の「菊の栞」には鳴尾百花園に竹田良助作の「造人形」があったと読める箇所がある。同11月21日付紙面、大阪道修町の神農祭の記事にも「造物」の制作者として竹田の名がある。当時人形師としての引く手あまたの人物だったのかしらん。 https://t.co/H1CIGPSvm1