明治43年頃にはブルドッグを輸入して飼う家もあった。同12月8日付『都新聞』。記事が言及する「曽て本邦有数の名犬と称せられたる古川高田両家の愛犬」も有名犬だったようだ。例えば『牧畜雑誌』307号掲載の卯木庵「家畜病院」は「都下の各新聞に十万円の犬として写真まで載せられた」と紹介している。
本当にこんな話があったのか。大正6年7月4日・5日付『都新聞』が江戸城にあった名品を井上馨がどうせしめたか載せていた。骨董屋を集め買い取り強要を匂わせ、維新騒ぎで金のない彼らが控えめに値付けするや金策は明日までなと切り、無理だと言ってきたところでではワシがその値で買うとかっさらったw
『メタモルフォーゼの縁側』の実写映画化に伴い作中に登場する『君のことだけ見ていたい』を空気階段・水川かたまり脚本にてHuluオリジナルで実写ドラマ化、って情報が多いな(笑)
奇人を見つけた。昭和2年11月14日付『河北新報』朝刊。決して奇行の類ではなく「日本の食糧問題解決の一端として」あらゆるものを試食してみせ講演するという啓蒙活動を行っていた熊谷政治なる男性を紹介する。それで「人糧道」と掲げたのか。明治44年10月11日以来、1600種余りの物を口にしたらしい。
すわ、この話を覆すゴリラ来仙記事かと一瞬は思った『河北新報』T13.4.18付朝刊の《東洋動物協会巡業部》広告「人祖大ゴリラ 榴ヶ岡公園に来る!」ところが続報はほとんどなく、21日付夕刊に「活動人形大ゴリラの見世物小屋が面白い程人を引つけてゐる」とあるばかりだ。確かにこの写真は作り物か…!?
大阪私立勧商場内「水産館」の新聞広告。「生キナガラ遊泳セシム水中旅行ノ奇観」を提供していた点ではこの施設は水族館だったと考えてよい気がする。明治28年7月31日開館。