大正7年10月10日付『新愛知』市内附録、名古屋の大須にカバがやって来た。記事に興行師の記載はない。ソウルの動物園、大阪のルナパークで飼育された後、巡回興行に就いたようだ。「生きて居る!!」との惹句の裏に、当時は恐らく剥製で珍しい舶来動物を見せることも少なくなかったのだろうと推測する。
『文藝春秋』昭和5年5月号の座談会記事「春宵世間話の会」、妖怪ミイラに関心を持つ動物学者の石川千代松のおかげで話題が膨らんでゆく。会の終盤で山本有三が石川に振った鰻の話題から、鰻と関連する伝承を持った「鬼の頭」を(岐阜の)和良村に見に行ったと石川が語る。1/n
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明治の東京で筋肉芸を披露するニュージーランドの青年がいた!「怪力家エヴヰリン」24歳、肩まわりや背中の筋肉が尋常ではない。数々の筋肉パフォーマンスの中でも就中「身体全部の筋肉を音楽に合せて意の如くに働かす」という「筋肉操縦」が記者氏を驚かせている。明治43年12月12日・13日付『都新聞』
大正14年8月19日付『都新聞』「広島の女王」北田てる子こと大西卯三郎※のその後を伝える。金銭トラブルで執行猶予判決を受けたのち、新派の一座に請われ女形として舞台生活に入ったとする。
※『変態性格者雑考』は記事と細部が諸々異なり本名は大北小一郎とする。仮名表記か。出身地名も伏せてある。 https://t.co/qYq42grvkQ
花月園「美少女が噴水に踊るウォターショー」S12.7、噴水を舞台装置として使ったこうしたウォーターショーの興行はいつ頃まで遡れるだろう。#噴水史
堺市博物館「仁徳天皇陵と近代の堺」展、古代から今に至るまで当地の人々にとって仁徳天皇陵は今この目の前にある存在であり、とりわけ近代になってどのように巨大な陵墓とともに暮らし、課題と向き合ってきたか。まさにこの地でしか見られない展覧会でとても面白かった! https://t.co/vAn4nQSEAZ
まだゴム管付きの哺乳瓶時代は続く。大正2年12月11日付『信濃毎日新聞』 https://t.co/l4awXT8xZh