明治21年11月20日付『みやこ新聞』の記事「日曜日の景況」は市中の行楽模様の一つにこの浅草の鬼の見世物を取り上げた。ここでは「大江山酒呑童子の首と茨木童子の左の腕の骨」となっている。日曜限りの特価もあり大入りだったようだ。同時期の興行として大象の演芸や模造富士も見える。#湯本鈍器補遺
大正14年4月5日付『都新聞』「お待兼の冷しコーヒー器が出来ました」との広告があった。いつ頃からどのようなスタイルでアイスコーヒーを飲む文化が日本に出来たのか、こういうところから気になってくる。
明治16年前後の京都の料理屋の噴水。一枚目「生洲御料理 さの新楼」に関しては「その頃としては珍らしく庭先に噴水をこさへたり、菊を作つたりとてもモダン的な営業法だつた」と振り返る新聞記事が昭和3年に出ている。同時代に近い言及した資料が欲しい。二枚目の「吹上」はまだ手掛かりなし。#噴水史
大正4年10月21日付『東京朝日新聞』に載った靖國神社のこの「ゴリラ」は『山梨日日新聞』に載った巡廻動物園の興行と非常に時期が近い。名前の似た「教育参考会附属巡廻動物園」と「帝国巡廻動物園」の関係が気になるところである。#本朝ゴリラ渡来史 https://t.co/J7qLdxT8q0
大正11年11月14日付『都新聞』まるで分からない(笑)鳥取では「山の芋は鰻となり鰌はゐもりになる」と早くから言っていた、鳥取市の水道部がその発見を公表した。山芋が鰻と化すという俗説に覚えがある一方、ドジョウがイモリになるとの俗信は知らなかった。ある人が「実物を携へてゐる」も可笑しい。
木下先生の『股間若衆』や『新股間若衆』、井上先生の『ふんどしニッポン』、澁谷先生の『日本の童貞』や『日本の包茎』、そして『オトコのカラダはキモチいい』といったあたりの本を重ね合わせて「男らしさ」とは一体なんぞやと… https://t.co/Ul5SPwrl4x
「キモ(っ)」とツッコまれているわけではなく、まむしのキモ粉を使っているよという「キモ」。昭和38年の強精剤《強力マムキモニン》。