木村昌福の次男・氣(いき?)が父を描いた『髭の司令官』を全部読んでみたいのだけど、ネットで検索しても目を引く情報のひとつも出てこない。本当にこの世に存在するのだろうか?
背の丸まり具合が良いのだよ。
※『キスカ島奇跡の撤退』(将口泰浩)より。
新型コロナ騒動、藤子・F・不二雄は使いやすい。
「中年スーパーマン左江内氏」と「マイ・シェルター」より。
先日読んだ『銭ゲバ』。
大昔に『しあわせのかたち』(桜玉吉)でパロディに用いられていたのはこのコマだったのかなぁ。コンビニで虫を潰してしまったエピソード。
宮崎駿の『風立ちぬ』(原作)での「複葉機派クルクルパー」勢の描き方の理由がドキュメンタリーなのかアニメ製作のメタファーなのかが判然としないママの十二年(ヒャー!)。もう一個何か思い付いたけど、それが何なのか忘れた。
どれもが正解なんだろうけど、だったらその混合比率が気になるところ。
みなもと太郎はお母さんの亡くなった六年後に亡くなったんだな。
親が死んで程なく死んだ人の話は何とも言えない切なさが勃起する。
『風雲児たち 幕末編』第三十一巻より。
「顔資料なし(今んとこ💧)」にされた小出修理秀実さんの哀れよ。もう「実はこんな顔でした」のみなもとギャグの餌食にはなれないんだよね。
画像検索したらアッサリ出てくる辺り、みなもと太郎はあまりイメージ検索をしなかったのかなぁ、と。
『新九郎、奔る!』の第十六巻、一コマだけペン入れされていないのは何故? 演出にしては変だからケアレスミスなのか? 雑誌掲載時もこのままだったっぽいし。
きっちり仕上げた絵には拘らないし、発表時のまんまってのは好ましいので構やしないのだけど、こうなった理由は気になる訳。