少年誌のジャンプとチャンピオンとキングの編集部を見学していましたが後にマガジンとサンデーに持ち込みに。
マガジンではシリーズ化して4作描いて1か月後までにと言われましたが出来ず、新人に私のアイデアが使われていました。
漫画大会の1年後に「別冊少年ジャンプ」に投稿作が掲載されました。 https://t.co/TtMBoa0GrU
作画グループの本の下にある「コスモ・コミックス」には、柳村亜紀さんが参加されていた記憶。
斎藤種魚さんから、柳村さんに会ったと聴いたことがある。
高校時代、同人会で一緒。
有野陽一さん編集のコピー誌「SKETCH」の競作で戦った。
右ページ、柳村さん。
左ページ、斎藤(童話仮面)さん。 https://t.co/MwTRaJmlAk
上村一夫さんの「菊坂ホテル」に登場する佐藤春夫さんは、私は講談社文芸文庫の「この三つのもの」掲載で見たのですが1枚の写真を参考にされてここまで描けるのかと感心しました。
太宰治さんを描いた「小説芥川賞」、ミステリー「オカアサン」、SF「のんしゃらん記録」が好きな佐藤春夫作品です。 https://t.co/49HoVm1IEZ
久しぶりに「ビッグコミック」を買った。
コンビニで手にして巻末の「ひねもすのたり日記」(ちばてつや)を見てみたら、「螢三七子」について描かれていたので。
一挙80ページで掲載された「少年マガジン」も買っていたが、単行本と文庫本も購入。ときどき読み返す。
昔の日本の青春映画のようです。
「超人ロック」よりも先に「超人ヒッチ」を知った。
聖悠紀さんの「超人ロック」は作画グループの初期の肉筆回覧誌から発表されていたらしい。
私ものちに入会して肉筆回覧誌の編集を1冊担当した。
ばばよしあき(まぜき伸吾)さん、聖悠紀さん、みなもと太郎さんが中心の会の印象。
しみじみとします。
有野陽一さんが作品募集、4人の競作として掲載し、人気投票をされた事がありました。
北冬書房の「夜行」にマンガを描かれていた斎藤種魚さんとセミ書房の「架空」の執筆者の大阪での集まりでお会いした際、斎藤種魚さんが「サークル広場」の会員の斎藤英次(童話仮面)さんだったと聞いて驚きました。
おかだ・あきらさんは、「義男の青春」(つげ義春)の田山先生のモデルのかたですね。 https://t.co/QmXLWD9qIb
「ー自選ー捜し屋はげ鷹登場!!」(さいとう・たかを)の第2巻をコンビニで購入。
創刊当時の「ビッグコミック」で、小学生の頃に、このページに接し性に目覚めたような記憶があります。
「ハレンチ学園」(永井豪)の登場の前で、子供が入手できるマンガでエロい場面になかなか出合えなかった時代でした。