「息子は本読みの稽古に、三ツ目橋の向こうの、多羅尾七郎三郎の用人の所へ通わせることにした。」
「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、だんだん脚気も良くなってきた。
越してふた月目だったか、息子が九つの年、お城から家へ帰ってきた。」
#はやおき訳
7歳でスカウトされ、将軍の孫のお相手として江戸城で暮らしていた麟太郎(小吉の息子で後の勝海舟)。
2年後の天保二年(西暦1831)、お役目を終えた麟太郎が、勝家に帰ってきます。
#夢酔独言 #勝小吉 #勝海舟
#漫画が読めるハシュタグ
帰宅しました。
帰宅途中に10分で考えた、江戸時代に伝来しなかったポッキーの漫画です。今考えたら、量が多過ぎかもしれません。
「後に本壽院となられるおミツの方にはよく目をかけてもらい、時々は菓子なぞを頂いていたそうだ。」
「(海舟)先生はたいそうな乱暴者で、大奥の女中に灸を据えられることもあったそうだ。」
「『しかしながら、この子の家はとても貧しく、ここに着ている着物も実は親類から借りたぐらいでござります。粗相があるやもしれませぬ』
と答えたが、構わないということで、それから大奥のおチヤの部屋へ上がり、初之丞様のお側に仕えることとなった。」
「(海舟)先生はとても活発で、ズカズカと立ち回っていたものだから、
『あれは誰の子か』
と尋ねられた。
『おチヤの縁辺の子でござります』
と申し上げたら、
『初之丞様のお慰めに、大奥のチヤの部屋へ召し上げよう』
という話になった。」
「勝(海舟)先生の家はとても貧しかった。
先生が七歳の頃、おチヤという大奥勤めの親類に連れられ、御本丸のお庭拝見に参加した。他の女中の近縁の者も大勢来ていた。」