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「親父は卒中風とかで、一日も経たずに死んでしまった。おれは真崎稲荷へ出稽古に行っていたが、家の子侍が迎えにきたから、一目散に駆けて行ったが、すでに事切れていた。」
 #はやおき訳 
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※このあたりはフィクション演出です。
江戸城から帰還した息子・麟太郎をチェックする小吉。 
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「ある晩、地主の御前様が密かにおれの所へ来て、
『孫一郎がふしだら故に、家中が困っておりまする。支配向きへ話して、どうにか隠居させてくだされ』
と言った。」 
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「翌日、亭主は、
『まず伊勢へ行って、身の上を祈るがいい』
と言ってくれた。もらった米と麦と三升ばかりに、銭五十文を礼にやった。
それから、毎日物乞いをして、伊勢の大神宮に参詣した。」 
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「一度、馬喰町で火事が出た時、馬で火事場に乗り込んだことがある。今井帯刀という御使番にとがめられて、一目散に逃げたが、本所の津軽屋敷の前まで追いかけてきた。馬の方が足が速いから、とうとう逃げおおせた。
後で聞いたら、火事場には三町手前より近付くものじゃないそうだ。」 
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「親父が、おれの頭の石川右近将監に、おれが帰ったことを報告した。
『大層なことをしでかしてしまいました。小吉は隠居させて、勝の家には他に養子を入れてはどうか』
と言った。石川殿は、
『今月帰らないと、月切れでお家断絶になるところだった。だが小吉は帰ってきた』」
 #はやおき訳
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「医者が来て、腰の辺りを痛めてるんじゃないか』
とか、いろいろと言った。その時はまた、金玉が膿んできていたが、意地を張って、
『ない』
と言って隠し通してしまった。
ところがみ月ばかり経つと、湿(疥癬)の症状が出て、だんだん酷くなってきた。」
 #はやおき訳
   (2/4)
「その時は、花町の仕事師で八五郎という者が息子を家に上げて、いろいろ世話をしてくれた。おれは家で寝ていたが、知らせてきたから、急いで八五郎の家へ行った。
息子は、布団をたくさん積んだものに寄りかかっていた。着物の前をめくって見たら、金玉が下りていた。」
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「男谷へ行ったら、兄嫁をはじめ皆が泣いていた。精一郎の部屋へ行ったら、兄嫁が言った。
『左衛門太郎(小吉の本名)殿、どうしてそんな無茶ばかりしなさる。お兄様がこの間から、お前の世間でのようすを残らず聞き取っていなさったが、放ってはおけぬと心配して、』」
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「この年の夏、男谷から呼び出された。後のこと、子供のことまで妻に言い残して亀沢町へ行った。」