(3/4)
「夜五つ頃まで、呼びに来るかと待っていたが、一向に知らせがないから、その番は吉原へ行って翌日帰った。
それから、
『ただで済ますわけにいかないから、兄上へ一筆書け』
と言われたが、それもしなかった。」
(3/4)
「その代わりには、いつも市の終わりには、例え商人が五十人いたとしても、蕎麦一杯ずつでも、なるべく食わせて帰すようにした。町人は一文二文で一喜一憂するから、皆が喜んで、あちこちの市場に、おれが載る座布団を置いてあったものだよ。」
(2/4)
「その後、初之丞殿は一橋家へ養子入りし、同家へ海舟先生を召し出すという御内命が出た。先生が家督を継いでからとのことで、夢酔君は隠居の願いを出したが、初之丞様殿は逝去され、先生が家督を継ぐのに間に合わなかった。」
(※『海舟伝稿』より意訳)
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(2/4)
「三、四人が喜三郎にすがりついて、
『少しの間、お待ちくださいませ。一同が一言、申し上げることがあります』
と言った。喜三郎が、
『早く言え』
と言ったら、
『先ほど仰せの儀には、恐れ入りました。我々の家財を売ってでも、金子は用意いたします』
と言いおる。」
#はやおき訳
(3/4)
「『この講の連中は、つまるところ、おれが骨折ったお陰で集められたんだ。それを有り難いとも思わねえらしく、兵庫が好き勝手抜かすのは物を知らねえからだ。おれは講を抜けるから、兵庫にそう言ってくれろ』
とおれが言うと、友達がいろいろおれを説得した。」
(4/4)
「『兵庫には会ってやるが、他のやつらには、よくよく口止めしておくんだな。もしも昨日のことを漏らすやつがいたら、それは世話人が嘘をついたことになる。その時は片端から斬ってしまうつもりで来たから、よくよく言い聞かせておきなされ』
と脅してから、迎えの者を帰した。」
島田虎之助さんが道場を開いていたのは、浅草新堀の松平内記さんの地面だそうです(古い雑誌の情報なので確信がない)。
#夢酔独言