「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、だんだん脚気も良くなってきた。
越してふた月目だったか、息子が九つの年、お城から家へ帰ってきた。」
#はやおき訳
(4/4)
「おれが馬にばかり乗って銭金を使うから、馬の稽古をやめろといって、先生に断りの手紙を出した。そのうえでおれをひどく叱って、禁足しろと言いおった。それから当分家で居たが、困ったよ。」
(3/4)
「『大学』も五、六枚は覚えたよ。先生達からは世話を断られてしまったが、嬉しかった。
馬にばかり乗っていたから、しまいには銭がなくなって困った。お袋の小遣いや貯えの金を盗んで使った。」
(2/4)
「十二の年、兄貴の世話で学問を始めた。林大学頭の所へ連れて行かれて、それから聖堂の寄宿部屋の保木巳之吉と佐野郡左衛門という先生に就いて、『大学』を教えてもらった。
おれは学問は嫌いだから、毎日桜の馬場へ行って、馬に乗ってばかりいた。」
#はやおき訳
(2/4)
「本所猿江に、摩利支天の神主で吉田兵庫という者があった。友達が大勢この弟子になって神道をして、おれにも弟子になれと言う。
おれは兵庫を訪ねて親しくなった。
兵庫が言うには、
『勝様は顔が広いから、私の社に、亥の日講というのをこしらえてくださいませ』
ということだった。」
(4/4)
「毎晩、道具市に出るのを勤めだと思って精を出した。
売り物の手数料のつもりで、百文につき四文ずつ除けてみたが、三ヶ月の内に、三両二分の端銭が貯まったから、それで刀を拵えた。」
(2/4)
「毎晩、江戸神田近辺や、本所の道具市へ出ては、刀剣道具を売って儲けたから、だんだん金も貯まってきた。
親しい者が困ったと聞くと、その度助けてやったから、皆が贔屓にして、おれにいろいろ刀を持って来た。素人から仕入れるから、いつも損をしたことはなかった。」