「(海舟)先生はたいそうな乱暴者で、大奥の女中に灸を据えられることもあったそうだ。」
(4/4)
「秋葉海道の宿まで駕籠で行った。
宿で駕籠人足が、
『旦那は水戸の御使いで、天宮神社へ行きなさるのだ』
と言ったから、一人駆け出して、神社まで行きおった。
間もなく、中村親子が迎えに来た。おれが駕籠から顔を出したら、帯刀は驚いて、
『どうして来なさった』
と言いおる。」
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
小吉が引っ越した入江町の岡野孫一郎さんの地面は、本所の地図に記載されています。小吉はここに住んでいました。
麟太郎が稽古に通う道中にあった三ツ目橋も、近所にあります。
※家からの通学ルートはテキトウです。
#夢酔独言
「それからだんだん進むと、増水した大井川に差しかかった。問屋場へ寄って、
『水戸の急ぎの御用だ。早く通せ』
と言ったら、さっそく人足が来て、
『大変だ』
『播磨様の御用だ』
と抜かした。おれは蓮台で越し、荷物は人足が運んだが、水上に四人並んで水をよけるさまは、気持ちが良かった。」
(2/4)
「『この頃は本所で男伊達のようになってきまして、顔も広く、私を知らぬ者は、人が馬鹿にするようになりました。それがこのザマになっては、世の中に顔を出すことができませぬ。断食をして、一日も早く死にます。こうなるだろうと思いました故、妻にも跡のことを言い聞かせてきました』」
(3/4)
「暮れの十七日、浅草市へ例の連中と行って、その時も大ゲンカをした。その時、忠次郎が肩を切られたが、着物を厚く着ていたから、襦袢まで切れたが、無傷で済んだ。」
(2/4)
「遠州掛川外れの、天宮大明神の神主で中村斎宮というのの息子が、国元から江戸へやって来た。石川瀬兵衛という剣術使いの弟子になりたがり、あちこちを訪ねていたから、おれが面倒を見ることにした。」
#はやおき訳
「息子は本読みの稽古に、三ツ目橋の向こうの、多羅尾七郎三郎の用人の所へ通わせることにした。」