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「それからおれは江戸の様子を話して、
『思い出したから会いに来たんだ』
と言ったら、帯刀親子は喜んで、
『ゆっくり逗留しなさい』
と言って、座敷を一間空けて、何不自由なく世話をしてくれた。おれは近所の剣術使いの所へ試合をしに行くやら、好きなことをして遊んでいた。」
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「そうこうしているうちに、夜が明け始めた。そのまま発とうとしたら、問屋が道中駕籠を出したから、次の宿まで寝て行った。
うまくいったが、それもそのはず、箱根を越してから、稽古道具に『水戸』という小絵符を書いて挿しておいたから、問屋場の役人どもも騙されたのさ。」
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「この年、凧で前町と大ゲンカをした。向こうは二、三十人ばかり、おれは一人で叩き合い、打ち合ったが、ついに敵わず、干鰯場の石の上に追い上げられた。長竿でひどく叩かれて、散らし髪になってしまった。」
#はやおき訳
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「おれが七歳の時、今の家に養子に来た。その時、十七歳と偽って、消し棒にしていた前髪を剃り落とした。
養家で、初めての判元見届をした。小普請支配の石川右近将監と組頭の小尾大七郎が立ち会い、青木甚平という義父の兄貴で大御番が仲介をした。」
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「『どうしよう』
と、途方に暮れていたら、宿屋の亭主が、
『これまでも江戸っ子が、この海道でそんな目に遭うのはよくあることさ。お前さんもこの柄杓を持って、浜松の城下から外れまで行って、一文ずつもらってきなさい。物乞いをするのだ』
と、教えてくれた。」
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「浜松に泊まった晩は、二人が親切に面倒を見てくれたから、少し気が緩んで、三人で裸で寝た。その晩に着物も、大小の刀も腹に巻き付けた金もみんな盗まれてしまった。
朝、目が覚めて枕元を見たら、何にもないからひどく驚いた。」
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「おれも頭の息子が相手だから我慢をしていたが、いろいろ小馬鹿にしおるから、ある時木刀で、思い切り叩き散らし、悪態をついて、泣かしてやった。」
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「その稽古場に、おれの頭(かしら)の石川右近将監の息子も来ていた。そやつはおれの禄高や何かをよく知っているから、大勢の前で、
『手前の高はいくらだ、四十俵ではさぞ困っているだろう』
と言って笑いおるのが常だった。」
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「一度、隅田川へも乗りに行って、土手を駆け抜けたこともある。その時は伝蔵という借馬引きの馬を借りていたが、どこのはずみか、力革が切れて、鐙(あぶみ)を片方川へ落としてしまった。そのまま片鐙で帰ったよ。」
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「一度、馬喰町の火事の時、馬で火事場へ乗り込んだことがある。今井帯刀という御使番にとがめられて、一目散に逃げた。本所の津軽屋敷の前まで追いかけられたが、馬の脚が達者だったから、とうとう逃げおおせた。」
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「稽古を始めてふた月目に、遠乗りに行ったら、道で先生に出くわした。困って横丁へ逃げ込んだが、次に稽古へ行くと小言を言われた。
『まだ鞍にも座ったことがないだろう。今後は決して遠乗りはするな』
と言いおったから、今度は大久保勘次郎という先生に弟子入りした。」
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