(3/4)
「九月になって、友達が頭(かしら)に、摂州への旅行は夢酔の楽しみで行ったのではないと、大川丈助騒動の一部始終を説明して、おれが出歩けるように訴えてくれた。
頭も、
『それは仕方ないことだ。関所を越したのはけしからんが、よく慎んだことであるし』
と、外出を許してくれた。」
(3/4)それから受け取った金子を持って、孫一郎を訪ねたら、皆が出迎えて、おれを神様のように言った。
中一日置いて丈助を呼び出して、立替金三百三十両余残らず渡して、親類の書付まてま取って、孫一郎に渡した。
その翌日ら家の祖母が死んだから、いろいろ仏事にかかりきりになった。」
(3/4)
「六月か五月末、九州から虎の兄弟が江戸へ来た。毎日家を行き来して、世話をして江戸を見せて歩いた。
金十郎という男は、おれに頼りきりだったから、たいていおれの家で泊まっていた。
ある日、吉原へ俄(にわか)を見に行った晩、馬道町で喧嘩をして見せたら、金十郎は怖がった。」
(4/4)
「『其の方二人はこれまで特別おれに刃向かったのを、格別の勘弁をしてやるというのに、不届きなやつだ』
と脅かしてやったら、二人は大いに怖がった。
『この証文は、夢酔がもらっておく』
と座敷へ入ったら、二人は早々に帰って行った。
百五十両は、この一言で踏み倒してしまった。」
(3/4)
「その晩、皆で打ち解けて話をしていると、村方の宇市、源右衛門という二人が願書を出してきた。見ると、孫一郎が証文を書いた借金が百五十両、この暮返す約束になっていた。
代官に言いつけて、
『返済を一年延ばせ』
と、次の間へ呼んだ二人に伝えた。」
(3/4)
「ようやく、翌年の夏頃に全快した。
それから本所を訪ねてみたが、おれが貸した道具も金も、四十両分はあったと思うが、誰も返さなくなってしまった。
おれは何も知らずに不意に虎の門に来たから、アテになるものもない。今は貧乏して困るが、仕方がないとようやく諦めた。」
#夢酔独言
(2/4)
「これまでいい友達もなく、悪友ばかりと交わって、良いことには少しも気付かなかった。法外な振る舞いを英雄豪傑と思い込んで、間違えたことばかりした。親類、父母、妻子にまで、どれだけ苦労をかけたか分からない。」
#はやおき訳
(4/4)
※高野長英さんが亡くなったのは夢酔(勝小吉)死去と同時期なので、このエピソードを入れました。
(3/4)
「先頭のやつらがバラバラと後ずさったはずみに逃げ出して、浅草の雷門で、ようやく三人一緒になった。吉原へ入ったが、源兵衛が心配だから引き返した。
番場町で飯でも食おうと思っていたら、源兵衛は先に家に帰っていて、玄関で酒を飲んでいた。それで、三人とも安心したよ。」
(2/4)
「祭の日になったから、夕方、番場町の男谷家へ行った。兄弟も待っていて、
『よく来た。今、源兵衛が湯へ行ったから、帰ったら出掛けよう』
と、支度をしていたら、源兵衛が帰ってきた。
それからケンカの打ち合わせをしながら、八幡へ行った。」
#はやおき訳