初代・天華は天勝一座から兄の曲芸師・萩原秀長と独立してシンガポールなど海外でも巡業したものの、1920年に24歳で逝去。
急遽代役として、ダンサーの座員である足立鶴子が二代目を継いだ。写真は京城巡業中の二代目・天華。
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   朝鮮半島での松旭斎天勝、1915年、1926年、1931年の京城。毎回、平壌など地方にも行っている。
ジャズ、ピアノ、演劇を取り入れたプログラム。
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   1920年5月の京城日報から「女奇術師 松旭斎天露の告白」。
松旭斎天露、記事中の天直については調べても出てこない。
「人としての苦しみと藝人としての誇りと變態なその性格と!」と穏やかでないですが、一座を率いて上海に行ったようです。
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   1926年5月の朝鮮新聞から、女流奇術師・松旭斎天勝の全段特集記事。京城(ソウル)の朝鮮博覧会に出演。
外国人ピアニストや踊り子、ロシア舞踏、ジャズとバラエティ一座としての色を強めるこの時代。
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