1926年11月3日、日本の新聞に載ったハリー・フーディニの訃報。
脱出王、イカサマ心霊術を暴くサイキックハンター、飛行家、さらに俳優としても知られた奇術師。
#手品史 #magichistory
奇術師の個人情報といえばこれ。
・松旭斎天勝の本名、住所(日本歌劇俳優名鑑)
・小天勝の本名、住所、学歴(日本歌劇俳優写真名鑑)
・松旭斎天洋の本名、電話番号(昭和四年電話帳)
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初代・天華は天勝一座から兄の曲芸師・萩原秀長と独立してシンガポールなど海外でも巡業したものの、1920年に24歳で逝去。
急遽代役として、ダンサーの座員である足立鶴子が二代目を継いだ。写真は京城巡業中の二代目・天華。
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1941年に公開された初代天勝の出演した映画『世紀は笑ふ』(マキノ正博、日活)。
杉狂児は天勝一座にも在籍経験がある人物。フィルムはロシアで数十年ぶりに発見されたものの一部が欠落。
https://t.co/VPf467KSfC
1941年ということで下方に「熱だ力だ総力戦だ」の一文が。
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9月23日の手品史。
・1909年9月23日、デンマークはコペンハーゲンで日本人手品師セトが植瓜術を演じる
・1916年9月23日、女流手品師の松旭斎天勝が韓国の釜山座でテンペストを披露
・1933年9月23日はブラジルはサンパウロの手品師 福岡天一がトラブルを起こし訴えられる
#手品史 #magichistory
1929年の松旭斎天勝一座。この公演には浅草オペラで知られた晩年の澤モリノが参加した(1枚目)。
プログラムは洋楽合奏やダンス、五節舞、大小魔奇術、澤モリノの舞踏ほか。
#magichistory #手品史
朝鮮半島での松旭斎天勝、1915年、1926年、1931年の京城。毎回、平壌など地方にも行っている。
ジャズ、ピアノ、演劇を取り入れたプログラム。
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西洋奇術の旭マンマロ、中村一徳の登場する滑稽本を見つけた。関由蔵『地口絵本』1886年。「地口」というのは言葉遊び(洒落)。
歌舞伎や浄瑠璃関係から取り上げられる中、奇術師ではこの二人だけ掲載。松旭斎天一や帰天斎正一が台頭する直前のこと。https://t.co/NbHJ25f4KA
#magichistory #手品史
1920年代、アメリカの奇術専門誌に毎月(!)イラスト付きオリジナルトリックを投稿したハワイのハリー花岡。
石田天海とも交流しハワイ奇術界のリーダー的存在だった花岡をはじめ、独自に花開いた「日系マジシャン史」を移民と興行の視点で8月7日21時半にオンラインで小報告します。お申込はこちら。 https://t.co/m9VIleNI6j
1932年の新聞から衝撃的な記事を……「雨の罪状を擧げ 照々坊主死刑」。
全文読んでも意味がわかりませんでした。
「徒歩競争の名人」の触れ込みで欧米諸国を興行して回った東京生まれのイトウ・イクジロウ。競争が演芸だった歴史。
1912年時点では芸人から足を洗いイギリスに帰化、日本大使館で庭師をしていた由。
東京横浜間を汽車と競争して5分しか遅れなかったという健脚。1912年6月14日「朝鮮新聞」より。