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松旭斎天勝が1939年に一度限りの舞台復帰したとき、相弟子の松旭斎天洋が新聞に寄せた文章を見つけた。
天洋は水芸を松旭斎のお家芸と自負しており、「他の奇術屋さん」がやる「たゞ水が出たり消えたりする」のは芸術でなく「まねこと」だと断じているのが興味深い。
#magichistory #手品史
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「千里眼事件」で知られる心理学者の福来友吉(1869-1952)が、奇術師の地天斎貞一(角界上がりで得意技はメリケンハット)との交流を明かしている。
心理学者だと野上俊夫もミスディレクションについて自著で触れていて、このあたりのネタ元や人脈も調査テーマとするところ。
#magichistory #手品史
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1939〜42年、漫才師たちが連日出演する朝日座の様子。
マチガヒ漫才の若松家美代子・松定夫、立體漫才のリーガル千太・萬吉、レビュー漫才の井上チエ子・一條キイチ、ジャズ漫才の川畑米子・英主水など、ジャンルは何でもあり。千鳥家力丸は永田キングの師匠筋とのこと。
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福岡天一や名古屋天一、南勝、鎌村といったマジシャンが南米で活躍し、現地社会に少なくない足跡を残している。
彼らについてはサーカス学会の機関誌に「奇術師・福岡天一の足跡(南米ブラジルにおける「日本人移民」奇術師)」として第一報を書いたので、興味がある方はぜひに……。
1933年の朝鮮新聞、藤村梧朗と明石須磨子。
奇術プログラムにオペラやジャズが入るのは当時珍しいものではないものの、松竹派天勝には歌劇団出身者が何名かいたようなのでそのつながりか。
#手品史 #magichistory
1903年、アメリカ・オレゴン州に現れたJapanese Juggling and Acrobat のテツワリ一座。広告でも筆頭に上がる実力者のようです。
幕末にいち早く海外興行に出かけた鉄割一座の系統でしょうか?(三枚目画像は江戸期)
#手品史 #magichistory #サーカス史 #circushistory
1920年5月の京城日報から「女奇術師 松旭斎天露の告白」。
松旭斎天露、記事中の天直については調べても出てこない。
「人としての苦しみと藝人としての誇りと變態なその性格と!」と穏やかでないですが、一座を率いて上海に行ったようです。
#手品史 #magichistory
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二代目の松旭斎天一(天二)は1921年に流行性感冒(スペイン風邪)で急逝するが、一座はすぐに解散するのではなく妻・天栄が継いで各地を巡った。
「天一家元松旭斎宗家」を掲げるあたり、天勝を強烈に意識していたことが窺える。記事は1922年だが30年代には解散している。
#magichistory #手品史
問題になった松旭斎天華のステージはこういう感じ。ジャズ、ダンス、オペラ、コント、マジックを組み合わせたバラエティショーで、「総合芸術団」を自称。 https://t.co/gKpHmRtSeb
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1932年の『朝日年鑑』に、吉本興業系の寄席でも活躍した奇術師「木村マリニー」の名前を見つけた。映画監督の木村荘十二の実兄。
この頃はセミリタイヤして写真館を経営していたようで、写真の腕前は「大阪有名芸術写真館」に挙げられるほどらしい。
https://t.co/Biud8ihg9G
#magichistory #手品史