1938年、クラブ美身クリームを50銭以上購入すると招待券が配られた演芸大会。
奇術は「笑ったら最後 笑ひのおさまらぬ松旭斎天右一座」。意外にコメディマジックだったんですね。
共演は漫才のアサヒ日の出、ミス若葉ら。こちらは二人の漫才音源。
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#手品史 #magichistory
1940年代の羅府日報(ロサンゼルスの日本語新聞)より「スミス米」。代表的御贈答米とのことで、高級品だったのだろうか?
静岡市民にはおなじみ、静活がかつて運営していた歌舞伎座のパンフレット(1940年正月)。旧下石町、いまの青葉通りにあったそうです。
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松坂屋はもちろん、金清軒もビルの名前として市内に名前が残ってますね。
二代目帰天斎正一こと福岡宗兵衛は晩年に大阪で芸人周旋業(余興屋)をやっていたというが、1904年の官報に登記があった。
1910〜14年には薬屋だったとの記録もあり、住所が同じだから同一人物で間違いないと思うが……。懐中時計の製造にも出資していたというし、なかなかの多角経営である。
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歴史関係の書籍で「北条政子」という名称は1930年代から用いられたとのことだけど、一般向け書籍?では早くから浸透していたということだろうか。
「北條政子」を立項する歴史及地理講習会『日本歴史辞典』1901年、吉田正雄『小学全科字典 下巻』1894年。