1920年5月の京城日報から「女奇術師 松旭斎天露の告白」。
松旭斎天露、記事中の天直については調べても出てこない。
「人としての苦しみと藝人としての誇りと變態なその性格と!」と穏やかでないですが、一座を率いて上海に行ったようです。
#手品史 #magichistory
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二代目の松旭斎天一(天二)は1921年に流行性感冒(スペイン風邪)で急逝するが、一座はすぐに解散するのではなく妻・天栄が継いで各地を巡った。
「天一家元松旭斎宗家」を掲げるあたり、天勝を強烈に意識していたことが窺える。記事は1922年だが30年代には解散している。
#magichistory #手品史
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西洋奇術の旭マンマロ、中村一徳の登場する滑稽本を見つけた。関由蔵『地口絵本』1886年。「地口」というのは言葉遊び(洒落)。
歌舞伎や浄瑠璃関係から取り上げられる中、奇術師ではこの二人だけ掲載。松旭斎天一や帰天斎正一が台頭する直前のこと。https://t.co/NbHJ25f4KA
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1940年代の羅府日報(ロサンゼルスの日本語新聞)より「スミス米」。代表的御贈答米とのことで、高級品だったのだろうか?
二代目帰天斎正一こと福岡宗兵衛は晩年に大阪で芸人周旋業(余興屋)をやっていたというが、1904年の官報に登記があった。
1910〜14年には薬屋だったとの記録もあり、住所が同じだから同一人物で間違いないと思うが……。懐中時計の製造にも出資していたというし、なかなかの多角経営である。
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1939〜42年、漫才師たちが連日出演する朝日座の様子。
マチガヒ漫才の若松家美代子・松定夫、立體漫才のリーガル千太・萬吉、レビュー漫才の井上チエ子・一條キイチ、ジャズ漫才の川畑米子・英主水など、ジャンルは何でもあり。千鳥家力丸は永田キングの師匠筋とのこと。