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木下謙次郎が著した「美味求真」によると、戦前の高級料理店における卓上の調味料は、以下のようなものでした。
西洋料理 塩、酢、ソース、からしなど。
日本料理 調味料は置かない。料理はすでに味付けされている。
支那料理 醤油のみ各自の前に置かれる。
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木下謙次郎によると、戦前の高級中華料理店では、醤油のみが卓上に置かれていたようです。
ところが大衆的な中華料理店では、焼売にソースやからしをつけて食べていました。これは、日本の中華料理の大衆化が、西洋料理と融合しながら広がっていったからです。明日に続きます。
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”ウスターソ ースだけが何故日本に普及したかといふと、それはこの種のソースが持つ、辛味、甘味、酸味、あるひはまた香気だ とか色澤などが米を常食としてある我々日本人の嗜好に最もよく合致したから”(醤油・味噌・アミノ酸/質疑応答木下浅吉著 昭和10年)
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その明治18年に、阪神ソースの創設者安井敬七郎は東京の丸善に入社し、インクや洋酒などを製造する丸善の製造部門、工作部を立ち上げました。画像は丸善百年史P273です。
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明治屋の社史、明治屋七十三年史、明治屋百年史においても、明治33年の「日の出ソース」国産ウスターソースの元祖であると記載されています。画像は明治屋百年史です。
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この福神漬=チャツネ代用説というデマの出処は二ケ所あります。一つは、日本郵船の広報。
小菅桂子さんは「カレーライスの誕生」で日本郵船を取材します。
”かつて日本郵船の広報室に問い合わせたところ、確かにきっかけは日本郵船の一等食堂である、との答えを得たことがある。”
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でてきたのは日本郵船ではなく酒悦のパンフレットでした。しかしそこには、チャツネを福神漬で代用したという話は出てきません。
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福神漬=チャツネ代用説というデマのもう一つの出どころは、TV番組「謎学の旅」です。もっとも、番組がデマを流したわけではありません。
番組では昭和初期に外国航路の船でコックをしていた丸山久義さんが登場します。
”丸山さんは、福神漬をつけた理由についても興味深い推理をしてくれた。 ”
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小説家水上瀧太郎は、昭和8年に大阪梅田にある阪急百貨店を訪問しました。
”私共は八階の方へ行き、ビフステーキ二十錢、米飯に福神漬をそへたのが五錢、冷珈琲五錢、合計三十錢で滿腹した”
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小説家阪田寛夫は、評伝「わが小林一三―清く正しく美しく」において、次のように書いています。
”阪急百貨店で、五銭の「ソースライス」あるいは「福神漬ライス」が、二十銭のライスカレーと共に有名になった。”
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昭和3年5月23日から、時事新報の家庭面にレストラン批評記事「食堂巡り」が不定期連載されました。
6月20日、9回目の連載記事で取り上げられたのは、日本橋三越百貨店本店食堂です。