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こち亀第78巻 「ケーキ屋・両さん!?の巻」より
両さん、ちがいますぜ。
”油っこくて気持ちが悪くなる”
というのは”本物の”バタークリームケーキじゃないですぜ。
それはバターのかわりにショートニングを使った偽バタークリームケーキ。
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大正7年の米騒動をうけ、東京などの自治体は公設の食堂を各地に設立、安い値段で食事を提供し、米騒動のような社会不安を抑えようとします。
簡易食堂とよばれたこの食堂で提供されていたご飯は、1合5勺の丼飯でした。(社会事業 田子一民著 大正11年)
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これはNHKが捏造したデマです。当時の「支那」は現在の中国の正式名称であり、そこに侮蔑的意味はありません。
二代目店主大久のぼるによると、日本人が呼んでいた別称は「チャンそば」「チャンコロそば」です。チャン、チャンコロは戦前において中国を侮蔑的に表現する言葉でした。
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明治39年の日本女子大学学生寮の一週間の献立です
7回中5回の夕食が洋食となっています
『戦前学生の食生活事情』(上村行世)によると、学生寮や学食において洋食が導入されるのは大正時代以降のことなので、当時としてはかなりハイカラな内容です
それはともかく、朝食の内容が変です
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お好み焼きは、明治時代末の東京下町において、子供向けの屋台料理として生まれました。
大正時代には大人向けのお好み焼き店舗が浅草に誕生、お好み焼きは大人社会に、そして全国へと広がっていきました。
詳細については「お好み焼きの戦前史」を参照して下さい(宣伝)
http://goo.gl/6gKGcx
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戦前の東京は、現在と異なり階級意識、職業差別意識が強く、下等労働者の食べる食べもの、例えば牛めしは上中流階級から敬遠されていました。
露店の起業運営について書かれている明治38年の「諸種営業実地商業案内」(原田東風)には、牛めしは”所謂下層社会の食物”とあります。
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これは明治37年8月の新聞記事。日露戦争勃発から半年後の、陸軍糧秣廠における軍用食料品生産についての記事です。
”日清戦争の當時採用されしものにて今回採用されざるは澤庵、梅干(は回戦当時少し送らる)”
”今回之に代ふるに福神漬を以てし”
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実は、日露戦争においても沢庵は戦地に送付されていました。これは陸軍経理学校発行の経理科参考書における、日露戦争追送品一覧。
しかし、それは本来の糠漬けの沢庵ではなく、糠から出して醤油に漬け直した醤油沢庵漬でした。
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おそらく本日発売の朝日新聞朝刊に、串かつの特集記事が載りますが、そこで「近代食文化研究会」を名乗る人間のコメントが掲載されているはずです。
お好み焼きだけじゃない、串かつも東京発祥なんだよ!
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大正3年の「人生探訪変装記」(知久泰盛)は、この時期いくつか出版された「潜入物」、変装をして様々な職業に就いてその内幕を暴露したり、貧民街に潜入したりする趣旨の本です。
ここでも貧民窟には牛めし、馬肉めし、深川めし屋が多いとあります。