この海辺のエピソードも実話なんですが、この時のことを思い出すたび悲しくなるとポールはのちに語っています。
タイムリーに「レリビー」ネタですが、個人的にはメトロイド(switch)がタイムリーなのですいません。メトロイドおもろいど。
大の自信家のくせに時々自信喪失に陥ってしまうポールですが、そういう時一番親身になって真剣に励ましてくれたのがジョンでした。ポールやジェフ・エメリックの回想録でもそういうシーンが何度も出てきます。ムチャクチャなようでちゃんとバンドの長兄役やってたんだなあジョン。
実際の時系列はまったく逆です。68年8月ヘイジュード→同年11月ホワイトアルバム→69年マンソン事件が正しい時間軸。まあ、漫画ですからそこはカンベンしてもらって……と、いつもの言い訳w
そこにいたドイツ人のプリルおばさんってのが英国式ポテトフライの作り方を知っていて、いつも連中に食べさせていたそうです。さらにそこの館長というのが二等機関士だったスチュの父親の知り合いだったというナイスな偶然もあって、ビートルズは朝から夜の演奏開始まで入りびたっていたと。
まあエルトンもその後ナイトとかコンパニオンとか受勲してますが。ショーンのはダコタでジョンがちょっと目を離した隙に…って話らしいです。エルトンが子供好きなのは、自分の子をサッカー教室に送り迎えするのが忙しいのでツアーをやめたってエピソードからもわかりますね。
実際には「How do ~」は「Love me do」と一緒に録音されていました。2曲目をどうするか決めるときに「Please please me」と比較されたわけです。G&ペースメイカーズ版と比べるとビートルズのはジョンのボーカルもジョージのギターもなんか精彩を欠いていてやる気のなさが伝わってきて面白いですね。
このあと彼らはイギリスに帰って「ペパー」を作るのですが、「ペパー」のジャケットデザインはこっちにしたほうが良かったんじゃないかなという気がしたりしなかったり…。どっちだよ。
…とはいえ、このころのドラムとベースはピートとスチュ。どんなジャズになったのかは想像できませんが…w
でもちょっと聴いてみたい気はします。