今では考えられませんが、当時としてはあのハイペースでのレコード制作は普通と思われてたんですよね。まあそれも65年いっぱいまでですが。…とはいえそのハイペースの要求に楽々と応えてたんだからレノン=マッカートニーはやっぱすごい。
ポールはイエスタデイの時も、バイオリンに出ない低音を出せと言ったりビブラートをかけるなと言ったりしましたが、譜面を見て「この楽器では出ない高音だよ」と言った今回の二人に「だから何?」と返事したマーチンもかなりのもんだと思います。
これ以外にも4人はいろんなアーチストをアップルに入れました。詳しくは「アップルレコード物語」等で検索どうぞ。採算を度外視したあまりのバラエティの豊富さに驚くと同時にちょっと笑っちゃいます。そりゃ売れねーよww
実はこの曲の前にアイビーズ名義で1枚出してますが、バッドフィンガーとしてはこれがデビュー曲。しかしこのバンドを見つけてきたのがあのマルってとこがすごいですよね。
この海辺のエピソードも実話なんですが、この時のことを思い出すたび悲しくなるとポールはのちに語っています。
タイムリーに「レリビー」ネタですが、個人的にはメトロイド(switch)がタイムリーなのですいません。メトロイドおもろいど。
大の自信家のくせに時々自信喪失に陥ってしまうポールですが、そういう時一番親身になって真剣に励ましてくれたのがジョンでした。ポールやジェフ・エメリックの回想録でもそういうシーンが何度も出てきます。ムチャクチャなようでちゃんとバンドの長兄役やってたんだなあジョン。
実際の時系列はまったく逆です。68年8月ヘイジュード→同年11月ホワイトアルバム→69年マンソン事件が正しい時間軸。まあ、漫画ですからそこはカンベンしてもらって……と、いつもの言い訳w
そこにいたドイツ人のプリルおばさんってのが英国式ポテトフライの作り方を知っていて、いつも連中に食べさせていたそうです。さらにそこの館長というのが二等機関士だったスチュの父親の知り合いだったというナイスな偶然もあって、ビートルズは朝から夜の演奏開始まで入りびたっていたと。
まあエルトンもその後ナイトとかコンパニオンとか受勲してますが。ショーンのはダコタでジョンがちょっと目を離した隙に…って話らしいです。エルトンが子供好きなのは、自分の子をサッカー教室に送り迎えするのが忙しいのでツアーをやめたってエピソードからもわかりますね。