信じられないことにリンゴは当初「バンドが軌道に乗るまでの期間(by ブライアン)」という約束で、研修(!)扱いの週25ポンドで契約させられてました。実はその時他のバンドからもオファーがあったのですが、そちらは20ポンドだったためこの5ポンドの差が彼の運命を決定づけたのであります。
他のメンバーの家族はみな豪邸を買ってもらってリバプールを離れましたが、リンゴの母&義父だけは同じリバプール内の高級住宅街に引越し。本当にリバプールが好きだったんですね。リンゴの給料については次回。
同行記者のラリー・ケインの場合は、専用機のスチュワーデスおねいさまが部屋に待っていたそうです(丁重にお断りしたそうですが、実際はどうだったことやら)…もうね、あんたら勝手にやってなさいとw
このあとジェーンは長期公演中の仕事先へ、ポールはロンドンの自宅へとそれぞれ戻るわけですが、そこにはフランシーという女の子が待っており(リンダではない)それが元でポール&ジェーンは破局を迎えるのであります。
この時の使用楽器、写真を見るとジョンがヘフナークラブ40、ジョージがストラトそっくりのフュチュラマ、スチュは賞金で買ったヘフナーですね。そしてポールがゼニスモデル17、ピックガードが右用のままですが、のちに剥がして現在も使ってます。
広報担当のT・バーロウと女性スタッフたちのところへは、世界中から何万、何十万という手紙が押し寄せました。家のドアをハガキにして送ってきたファンもいたそうです。