このアホなニュースを見た瞬間思いついてすぐ描いたのはいいけど、ヤバくてどこにも載せる場所がありませんのでここに。
「うまいっちゃ…」は©︎ギャグマンガ日和ももたぬうであります。
…とはいえフォローしておきますと、モーリンは洋服作りや図版のデザインなどなかなか達者だったようです。リンゴもフイルムの撮影からカッティング・編集まで自分でこなし、「マジカル~」でも彼の映像がいくつか使われてましたし。そういえばT・REX映画の監督もやってましたね。
67~68年ごろの話でH・デイビスが伝記本に書いてますが、ジョンはフラッとやってきてはリンゴ家のおもちゃで遊ばせてもらっていたそうです。 ちなみにこのゴルフコースのメンバーには二人入ってませんでした。
Concert For Georgeに集まったメンバーの顔ぶれを見ただけでも、ジョージがいかに友人たちに慕われていたかよくわかりますよね。恒例(?)お盆バージョン。
ジョンは本当にスチュを尊敬し、心の底から信頼してました。もしスチュが生きていたら生涯にわたってジョンの親友であっただろうことは間違いありません。
G・マーチンによるとポールの要求は具体的でわかりやすいが、ジョンの場合は思いっきり漠然としていて(『山のてっぺんで多数の僧侶が読経してるような』とか「サーカスの床のオガクズの匂いがするような』とか)たいへんだったそうです。わかるような気がするw
これはちょうどツアーをやめたころの話なんですが、実際にアタッシュケースに入っていたのは怪しげな薬と彼氏との写真、それに現金2万ドルだったそうです。バンドのツアー終了のショックとこういった事件の頻発で鬱になったブライアンはこの直後自殺未遂するんですが…(ネタ元はP・ブラウン)
二人がベジタリアンになったのは67年ごろからでしょうか。当時の写真を見ると「ヘルプ!」のあたりから少しずつプックリし出した(笑)ように見えます。 https://t.co/dOKNEMc6A7
ずっと後になってからも娘たちに「なんでここにベッドがあるの?」と質問されていたそうです。「だって星を見ながら眠るの気持ちいいだろ?」とか答えてたみたいですが。 https://t.co/t8S7cGaWBF