パンケーキと呼ばれるメイク用具を勧めてくれたのはテッド・テイラー・フォーというインストグループの連中。ポスターはブラックプールでのライブ用だったらしい。アンソロジーでポールとジョージが「あの汚点は一生消えないよ」と言ってますw
4人の番号は電話帳にも載ってないし、年中変えてるのにファンは見つけてしまう…とハンター・デイビスは書いています。ジョージはぶっきらぼうに「お気の毒様」と返事して切るらしいですが、ポールの場合は思いっきり変な声で応対して、相手を黙らせてしまうとのこと。どっちも性格が出てますね。
ジェフ・エメリックによると、実際は雌鳥のキィを若干上げてギターと合わせたそうです。まあ偶然同じだったとした方が話が面白いからいいんだけど。
よく言えば「純粋で人が良すぎるパトロン」悪く言えば「世間知らずの成金」。どっちかというと後者に近いと思いますが、まあ200万ポンドをごっそり税金で取られるのも、会社ごっこでドブに捨てちゃうのも結果的には同じだからいいんでしょうけども。
そういった中流意識はミミおばさんに顕著ですね。ジョンが労働階級の子供たちと付き合うのをすごく嫌がってましたから。
その後ビートルズに入る頃にはフォードゾディアックに乗り換え、モーリンとの初デート用にキャバーンに乗ってきたらしいです。後年モーリンは「クリーム色の車でナンバーはNWM466。まだ覚えてるわよ」と言ってました。
アップルのアイドル歌手としての売り出し方にはメリーも不満を抱いていたようですが、最初の2曲「Those Were The Days」と「Goodbye」は超名曲だと思います。ポールは「Goodbye」を10分で作ったらしいですが。このエピソードはメリーの84年のインタビューから。
ビリー・JのJは間になんかあったほうがもったいつけた感じでカッコいいというブライアンの発想によるもの。ブライアンはジョンやピートにフラれた後だったので、ビリーのデビューにはすごい気合いを入れてました。…なんだかなあ(笑)
リンゴに最初のドラムキット(マーチ用)を買ってあげたのがこのハリー。その後初めてのフルセットを祖父から100ポンド借りてゲット。もう機械工見習いなんてやってられません(笑)立派なプロのドラマーの誕生です。
…とはいえ、もしミミおばさんがジョージママのように息子の音楽活動に理解を示して協力的だったとしたら、ジョンの反抗精神はまた違った感じになっていたかもしれないですよね。