ブライアンは、ジョンやポールに対しては「絶対的に信頼を寄せるビジネスパートナー」として、一方リンゴとジョージには「面倒を見なくてはいけない弟や息子」といった家父長的な接し方で世話を焼いていたと思います。4人に対してはひたすら真面目で献身的だったんですよね。
ジョンっていうワンコは多いのにポールやジョージって名前をほとんど見かけないのはなんででしょうね。もっとも猫にジョンやタローってのもあんまりないですけど。
このスリーフィンガーをドノヴァンは「自分がジョンに教えた」と言ってますが、ジョンは「ドノヴァンの友人のジプシー・デイブに教わった」と。
あとドノヴァンは「『I will』も手伝った」と言ってますが、ポールは「最終的には全部自分で作り直したよ」と。
パティがジョージ→クラプトン(ロン・ウッドとも浮気あり)とギタリスト中心だったのに対し、ジェニーはM・フリートウッド→I・ウォーレスとドラマー方面でダンナをゲット。その名前のお店はロンドンのチェルシーマーケットエリアにオープンしました。
「45回転シングルを4分以上にすると音量がガタ落ちする」というメカニックの抗議の中、様々な試行錯誤の末この壁を突破した経緯がアンソロジーに書かれてます。「無駄に長い後半部」と評論家から言われましたが「やたら長い」ということ自体がこの曲のセールスポイントだったともいえるでしょう。
吹き抜けの階段のコンクリート壁の反響を利用して、マイクは2階上に吊り下げエコーを得ました。まあ階段裏にジョンが隠れてたどうかは謎ですが。
このアホなニュースを見た瞬間思いついてすぐ描いたのはいいけど、ヤバくてどこにも載せる場所がありませんのでここに。
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…とはいえフォローしておきますと、モーリンは洋服作りや図版のデザインなどなかなか達者だったようです。リンゴもフイルムの撮影からカッティング・編集まで自分でこなし、「マジカル~」でも彼の映像がいくつか使われてましたし。そういえばT・REX映画の監督もやってましたね。
67~68年ごろの話でH・デイビスが伝記本に書いてますが、ジョンはフラッとやってきてはリンゴ家のおもちゃで遊ばせてもらっていたそうです。 ちなみにこのゴルフコースのメンバーには二人入ってませんでした。
Concert For Georgeに集まったメンバーの顔ぶれを見ただけでも、ジョージがいかに友人たちに慕われていたかよくわかりますよね。恒例(?)お盆バージョン。
ジョンは本当にスチュを尊敬し、心の底から信頼してました。もしスチュが生きていたら生涯にわたってジョンの親友であっただろうことは間違いありません。