「リグビー」はブリストルの街で見かけた店の名前だったそうです。でも二人が学校をサボってタバコを吸いに行った墓地に実在した名前って説がやっぱ話としては一番面白いですよね。
この時ザック9歳。しっかり見るところは見ています。当時の7000ドルって今だったら2~3万ドルってとこじゃないでしょうか。さすがムーニー。この4年後には死んじゃうんですけども。
実はポールもシェーをしてる写真残ってるんですが、はっきりとしたポーズなのはジョンの方です。それにしてもなんてことやらせるんだこのおばちゃんは。
元防空壕のキャバーンでビートルズは昼夜合わせて292回のライブをおこなったとされていますが(正確な回数は諸説あり)、ジャズクラブなのにロックンロールを演奏して追い出された最初の数回は勘定に入ってるんでしょうかw
当時姉のルイーズは米国人と結婚してセントルイスに住んでいました。ジョージダウンの知らせを受け、NYに飛んできてつきっきりで看病したそうです。
このテープ倉庫はポールの回想録によると縦10フィート横4フィート。リンゴの記憶によると8フィート四方。あまりの狭さにドラム用のマイクがギターアンプの音を拾っちゃってたいへんだったそうです。
結局美容室チェーンの話は立ち消えになりましたが、のちにリンゴは建設会社を作ってすぐつぶしたりしてました。
「Layla」や「Wonderful Tonight」なんかのせいで、ECは恋に一途な男みたく思われてたりしますが、じつはかなりの女好きで浮気性、男尊女卑主義、パティへのDVもあったという説もあります。ちゃんとそれを事前にチェックしないで彼と再婚しちゃうパティもどうかと思いますがw
当時ジョンは生母のジュリアから習ったバンジョーの押さえ方をしてました。その後ポールに出会って色々教わったみたいです。
デビュー当時の新聞の論評に「ビートルズの良いところは男色についてのきわどい冗談を言ったりしないところである」などど書かれていたことを考えると、なんか笑っちゃいますよね。
ピートは’41年生まれだからえーと…21歳違いですか。すごっっ! カスバクラブはベスト家の元石炭倉庫で、天井の虹色はポールがペイントしたそうです。写真見るとめちゃくちゃ狭いw