10代の頃よくこれを二人でやったとポールが語っています。実際はこうやって笑いのネタにすることで悲しみを吹き飛ばしてたんだと思いますね。
G・マーチンによるとポールの要求は具体的でわかりやすいが、ジョンの場合は思いっきり漠然としていて(『山のてっぺんで多数の僧侶が読経してるような』とか「サーカスの床のオガクズの匂いがするような』とか)たいへんだったそうです。わかるような気がするw
70年代後半、ジョン一家は旧軽・中軽のカフェやパン屋さん、そのほかいろんなところで目撃されてます。来店した時の写真を今も飾ってあるお店が結構あります。ジョンとわかっても思ったほど騒がれず静かに生活できたのが気に入ってたんでしょうね。
ジョンやリンゴの歌詞忘れ・歌詞間違いはいろいろありますが、バングラディシュ難民救済コンサートでのリンゴの「明日への願い」歌詞忘れモニャモニャ歌いは、映像でもレコードでもしっかり残っていて有名ですよね。
ビートルマニアが始まった頃、どの公演先でも楽屋入口にはこういった人たちがあふれかえっていたらしい。日本人には考えも及ばぬキリスト教国のメンタリティですが、そういった行為の偽善に一番苛立っていたのはやはりジョン。
リンダと付き合い始めた頃、2週間ほどNYの彼女のアパートに居候して裏町やハーレムを案内してもらった時が一番楽しかったな、とのちに語っています。髭ボーボーで古着のレインコートを着てまるで危ないベトナム帰還兵みたいだったので誰も近づいてこなかったと。そのあたりの話はいずれ…
大の自信家のくせに時々自信喪失に陥ってしまうポールですが、そういう時一番親身になって真剣に励ましてくれたのがジョンでした。ポールやジェフ・エメリックの回想録でもそういうシーンが何度も出てきます。ムチャクチャなようでちゃんとバンドの長兄役やってたんだなあジョン。
この海辺のエピソードも実話なんですが、この時のことを思い出すたび悲しくなるとポールはのちに語っています。