ドイツ語で「Jude」がユダヤ人を指す事をポールは知らないでアップルの店にでっかく「Jude」と落書きして大騒ぎにwww 意外とおっちょこちょいな男である。
'68 2月、インドのマハリシ道場へ修行に。リンゴは10日間、ポールは1か月で音を上げた。ジョンとジョージは2か月がんばる。タイトル曲はジョンがマハリシをおちょくったもの。
奥さんのパティ、E・クラプトン、M・ジャガー、K・リチャーズ、K・ムーン、G・ナッシュなどを目の前にしてガチガチに緊張してソロをトチったジョージ。さすがのジョンも緊張をかくすためガムを噛みながら歌っていた。
つづき。後にエルビスがビートルズの悪口をニクソン大統領にタレ込むとも知らず、幌馬車の電気スタンドなんかをお土産に貰って、嬉々として帰ってきたリバプール少年たちであった。
'66 6月末、日本公演。のんきなビートルズに比べて日本側はパニックに近い大騒動。1万の観衆に対し3000人の警備員という慌てぶりである。
ポールはマイクスタンドのセッティング不備でイライラ。
狭くジメジメして換気も最悪のキャバン・クラブ。今なら消防法で即営業停止のこの店で、ビートルズは'63夏まで300回近い(一説では272回)ギグをおこなった。
→つづき。とはいえブライアンは自分がゲイであることや、ビートルズ商標問題で何千万ドルもの損失を出したことを4人には絶対知られたくなかった。そして4人には秘密にしてるつもりだった。じつは4人にはとっくにバレてたんだけどねw
今回は豪華(?)12コマです。悪名高きプロジェクトのスタート。最初、初心に戻って(ゲットバック)シンプルな音作りに徹する方針だったのが、いつものことだけどグダグダに…
A Hard Day's Night撮影の2か月前の’641月、パリジョージ5世ホテル滞在中の彼らの元に『抱きしめたい』全米1位の知らせが。ブライアンは嬉しさの余り便器をかぶり、その写真を撮られる。
クォーリーメン→ムーンドッグズ→シルヴァー・ビートルズ→ビートルズとバンド名も決定。A・ウイリアムズの口利きで1960年第一回目のハンブルグ行き。
'64 2月、「エド・サリバンショー」出演。視聴率72%!
一方ジョージは風邪でボロボロ。注射打ったり、チューニングを半音下げたり大騒ぎであった。