せくさんぶる→花と修羅/変更⑭石像をめぐるジロと真弓の会話
石像を前に座り考え込んでいるジロを囲み
先生・和尚・真弓・しのぶがその理由についてあれこれ述べる場面は「せくさんぶる」「花と修羅」共通ですが、画像のジロと真弓の絡みは(「花と修羅」では)1頁まるごと消されています
#真崎守
せくさんぶる→花と修羅/変更⑮消えた巨人軍ネタ
連載中の時事ネタが単行本化に際し消えてなくなることはどの作者の漫画でもしばしばあることですが、何故か「せくさんぶる」には読売ジャイアンツに関連した台詞がありました。
#真崎守
そのシーンがある「海辺のカイン」Ⅲ章は、雑誌掲載時→単行本収録時の改変が特に激しく、台詞や絵が随所で変わっています
本作は(想像で勝手に言わせて貰いますが)「早すぎたLGBT作品」とも言うべき野心作&新境地ゆえ、作者も推敲を重ね、試行錯誤されたと言うことありましょうか
#樹村みのり
Ⅲ章の終盤、展子の魂が救済される場面の描直しも興味深い
「私は彼女の子どもだった」という科白以前に「彼女はわたしの母親」という擁護の言葉を加え
「見送りの時に母親が泣いていた」というエピソードを「母親も自分と同じ慌て者」に変えて「私は彼女の子どもだった」に繋げる構成に
#樹村みのり
「海辺のカイン」Ⅲ章、雑誌掲載時276頁上段大ゴマの4つの台詞
「でも、おかあさんは、そういうことを~」
「自分の子どもだからいえたんです」「自分がどうにでもできる~」
「わたしは彼女を憎みます」
単行本収録時には、これらの間に大量の言葉を追加し、半頁⇒3頁に拡げています
#樹村みのり
喜国雅彦先生の
この作品を思い出してしまいました。 https://t.co/JjJsK2Rkgn
#お前らの好きな最終回晒せ
ジョージ秋山先生の「ザ・ムーン」
雑誌連載時に読んで、その絶望的なラストと終末感が心に強く刻まれました
村生ミオ先生を初めて知ったのは、少年ジャンプのカバゴン先生のコーナーに1977年~79年頃に描いていたコマ漫画「ジャンプマン」(その前、1972~76年は宮のぶなお先生)
それだけに(?)1981年に少年マガジンで始まった「胸さわぎの放課後」以降の大変身&大活躍にはビックリしたものでした。
合掌。
真崎:それで「ダンさんならすぐその日から仕事になるけれど、うるさい面接官が一人いて、それさえ大丈夫なら手塚先生の方はスルーだと思いますよ」って言ったんです。それでものすごく不安そうに「その面接官って怖いのか」って言うんで「自分です」って言ったら怒られちゃいました(笑)
星野:急に動き出すシーンと静寂の交錯(写真①②)こういう展開が印象に残っています。この「布を…」のシーン(写真③)が凄く好きで、騒ぐでもなくそれでいて深刻な事態を伝えている、これは真似できませんでした。畳み掛けるように一家が滅ぶシーン(写真④)も上手いし引き込まれましたね