坂口尚「石の花」「あっかんべェ一休」原画展(マンガナイトBOOKS)
展示入替りに伴い鑑賞(トークイベントは都合が付かず断念)
原画の素晴らしさについては今更言うまでもありませんが
「石の花」の、希望コミックス(‘85)→新潮コミック(’88)の加筆修正の跡から、作画への飽くなき拘りが垣間見えます
笹生那実先生の、当時18歳のデビュー作「風に逢った日」
別冊マーガレット1973年8月号掲載、16頁
その完成度の高さは瞠目もので、規定外の24頁をわざわざ16頁に直させたという編集部の対応が、作者の非凡さを窺わせます。
日本語表記が「ビールス」から「ウィルス」に変わったのはウィキペディアによると1970年代らしい
漫画では一体いつなのだろうか?
「きりひと讃歌」(1971年)や「バビル2世」(1973年)では「ビールス」
「11人いる!」(1975年)では「ウィルス」
1973年と1975年の間?
#ぱふの時代を語る
ぱふまんが倶楽部
永島慎二御大の扉絵(1979年4月号~7月号の4回だけでしたが)
当初は選者(評者)として石森史郎・斎藤次郎・峠あかね(真崎守)等の名前もありましたが程なく消滅(編集部のみに変わった?)
写真は、谷口敬、高寺彰彦、福谷たかし諸先生の投稿作品
#今では許されないであろう昭和的な無茶画像
「無茶」とはニュアンスが異なりますが
この言葉、1970年代前半頃までは普通に(=悪意なしに)使われていました
(写真は、和田慎二先生の「兄貴にさようなら」)
今日、4月16日は
#ボーイズビーアンビシャスデー
佐々木倫子「動物のお医者さん」より
北海道大学のクラーク博士像が(有名なアレではなく)胸像だと言う事実を、この作品で知った人も多かったのでは
星野:時間の流れを表現するのに馬車が有効だと感じて、自分が描いた「月夢」でも、時間の流れを車で―大八車ですが―表現しました(写真①)
それから「グレンスミスの日記」での海のシーン(写真②)がとても印象に残っていて、小さいコマですが北方の冬の冷たい海を線で表現しています
4月19日は
和田慎二作品の主要キャラ、私立探偵・神恭一郎の誕生日
月日は生みの親と同じですが、生年は作者より一年早く1949年の設定
蛇足ながら、1949年4月19日生まれは松久由宇先生と同年同日
写真は神恭一郎初登場場面(別マ1973年8月号「愛と死の砂時計」)
私立探偵なのに刑事の如き口上
刑事No.39(1964年6月13日号)掲載
「その背景」
36ページ
石森章太郎 スタジオ0作品
と記されていますが
実際に絵を描かれたのは何方だったのでしょうか
承前④⑤
主人公は(今回絵とは異なり)僧侶か修験者だったような(烏帽子は被っていなかった)
母親が餓鬼道に堕ちた理由は記憶になし
食べ物を送った方法も記憶になし
5頁目に描いた落下シーンなし
最後は母親の独白だったが、大ゴマではなく上を向いてもいなかった
続く