【左近の桜、右近の橘】多分、当時は気に入らなくて、右(二枚目)を描いたのだったが、お蔵入りしてるのを最近見つけて、改めて見てみたらそんなに悪くないんじゃないかと思えて、少し手直しした。でもまぁ、二枚目の方がやっぱ良いな(自画自賛)。
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骨皮道賢。
細川勝元に金品によって勧誘され、東軍に属して戦った。(ウィキペディア)
【本間孫四郎遠矢事】
元弘三年、宮方の本間重氏は、湊川に迫る足利の大船団に向け、魚を捕らえて飛ぶ鶚を射抜いて船の中へ落した。足利尊氏は使者を立て射手の名を問うと、本間は矢に名前を書き入れ、尊氏がいると思しき六町先の船へ射送り、兵の鎧の草摺に突き立てた(太平記巻16)。
つづき。幕府勢が頓宮ら四人に恐れをなすなか、越前の島津安芸前司の一党は馬を進め、得意の射術で田中藤九郎を仕留めると、弟の田中弥九郎が金砕棒で敵とばかり挑みかかった。西国名誉の打物の上手と北国無双の馬上の達者の攻防は、皆固唾を飲んで見守る名勝負だったという。