自身の属する集団の問題を隠蔽・擁護してその解決に努めない自浄能力の欠如が醜悪なのは言うまでもないが、「汚物ここですよー!消毒お願いしまーす」と触れ回ってモヒカンのキャンセラーを呼んでくる名誉外国人はモヒカン以下の三下なんだよな。
研究者に読んだ本の数なんて聞いても「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」と返されるだけだろうな。
黒人奴隷が逃亡するのは精神病で、鞭打ちで治療するというのがある時代、ある地域での「学問的知見」だったわけで、現在「正しい」とされている事物がどれだけ正しいのか考え相対化する視点はあるべきだし、それを許さなかったとしたらカルト的では。
何の教訓も得られず成長の機会にもならない単なる厄災や理不尽も当然あるが、一般に困難や失敗からは何かが得られるものだという前向きな虚構を予め張り巡らせておいた方が社会にとっては有益なんだろうな。人々がリスク回避ばかりに腐心するようになっては社会が回らない面もあるだろうし。
グルジア語をかじってたらタイの日本語学習ニキと同じ気持ちになった。ვ, კ, პ, ჰ, ცとか、ქ, ე, მ, გ, ბ, ტ とか全部同じじゃないですか!(一夜漬けである程度文字を覚えたつもりでも現地で教科書と違うフォントを見るとあやふや)
「振られた仕事について鬼催促されないのは重要/緊急でない証拠だから放置でいい」的な考え方がまかり通る、仕事しないのは当たり前の夷狄の地で働いてたら、「人々の間にあるのは優劣でなく差異だけ」みたいな毒にも薬にもならない話なんてちゃんちゃらおかしくなる。これが現実を知るということ。