『天竺熱風録』読了。些細な疑問だが七世紀の天竺や成都の食事が辛いというのは何故なのか。唐辛子は新大陸から伝来したものでその頃はなかったはずだし、別の調味料(胡椒や花椒?)の味覚を指しているのか。
人は「真実に目覚めた」と思った時に真実から遠ざかり始めるという皮肉。実際には真実に到達することはなく、陰謀論や妄想に囚われ、終わりがないのが終わりという状態に至ってしまう。
主人公の一人が敵の組織の首魁と相対する、本来であれば盛り上がるべき場面、戦闘でこの躍動感のなさで逆に笑ってしまう。
千羽鶴を送るだとかネット上でウクライナに連帯を表明することにも意味はあろうが、日本にいる避難民に手を貸すだとか然るべき機関に募金をする方が実際に彼らの助けになるのは間違いない。
一部地域出身者、オフィスで事務職してるはずなのに体臭がキツい人が結構いて勘弁して欲しい。屋外で肉体労働してるとか、ヒンドゥー教とかイスラームの戒律でデオドラントが禁忌とかなら仕方ないがそんなわきゃないんだよな。
特定の国・地域出身の量産型の人達と仕事でやりとりしていると、何故こんな簡単な作業ができないのだろうとしばしば理解に苦しむ。彼らとのやりとりそのもので疲れ、その上に「それは彼らが劣っているから」等という差別的思念に因われまいとする内的葛藤で更に疲れる。
異世界が舞台のはずのハンターハンターに新約聖書の話が出てくることについて、どんな解釈があり得るだろうか。
①異世界にも極めた似た話があり、それを読者が理解し易いよう便宜的に聖書の話であるかのように「翻訳」している。②イエスとユダという偶然にも同名の二人が同じ出来事を体験した。(続
似た主義主張・信条の人の過誤について、党派性から盲目的に擁護するのはどうか、誰に対しても是々非々で対応すべきではないか、というのは原則としては正しいと思う。しかし誰かが自身の主張の補強に役に立たなくなったと見るや、すかさず切り捨てるのは浅ましく醜い。
コロナは感染対策をしないという形で若者が高齢者に異議申し立てをする千載一遇のチャンスだったのに、大人しくマスク付けて自粛しちゃったし、民主的手段では世代間格差が是正される希望は持てない。現役世代は国に残る限り老人様の養分として搾られるばかりなのよな。
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